
リベラル化社会の生きづらさ Web3.0とメタバースが解消するか
構成/三谷弘美
自分らしく生きるために組織に属さないで仕事をする人が増える。一見良さそうだが、社会がリベラル化すると「努力が足りないからでしょ」と切り捨てられる層が出る。解決の難しい問題だが、「Web3.0に注目する」と、橘玲氏は言う。
――第2話ではスキルのある人からフリーランスになるのは当たり前だという話を聞きました。会社に所属しなくても仕事が得られる社会であれば、生きやすくなるような気がするんですが、問題はどこにありますか。
現代社会は、リベラル化、知識社会化、グローバル化という巨大な潮流のなかにあり、もはや引き返すことはできません。イギリスのEU離脱、トランプ大統領の誕生、あるいはロシアによるウクライナ侵略なども含め、光が強くなればなるほど影も濃くなります。
欧米を中心に世界を揺るがしているポピュリズムは、反リベラル・反エリート・反グローバリズムというリベラル化へのバックラッシュと考えることができます。しかし、烏合の衆が集まったポピュリズムでは世界を変えることはできません。

リベラルな社会は、教育によって知能や能力が向上し、努力すれば夢はかなうという「メリトクラシー」に基づいています。
メリトクラシーは「学歴・資格」「業績」「経験」の3つのメリットだけで労働者を評価する仕組みで、これによって人種や性別、身分(出自)、性的指向などに関係なく、誰もが平等に努力を評価されるリベラルな社会が実現するとされました。しかしそうなると、貧困は努力を放棄した者の自己責任になってしまいます。
――時々、聞こえてきますよね。「自分は努力して高収入を手にしたのに、努力しない貧困層が優遇されているのは腹が立つ」とか……。
はい。実際、アメリカで何が起きているかというと、リベラル派の多くは知識社会に適応できたエリートです。女性や有色人種、性的マイノリティなどを「差別の犠牲者」として救済する一方、高卒や高校中退などの白人労働者階級をメリトクラシーによって切り捨ててきました。
「努力すれば」中流でいられたはずの白人貧困層は「ホワイトトラッシュ(白人のゴミ)」などと蔑まれ、その怒りがドナルト・トランプという異形の大統領を生み出しました。

知識社会が高度化すれば、仕事に要求される能力や学歴のハードルが上がっていきます。映画『ジョーカー』で描かれたように、アメリカでもっとも鬱屈しているのは中流から脱落した白人の低所得者層です。もともとアメリカ社会のマジョリティであったはずの彼ら/彼女たちは、いつのまにか社会の落ちこぼれになってしまったのです。
インセル問題とは何か
リベラルな社会では、誰とつき合い、誰と結婚するかは本人の自由です。男女の生殖の非対称性から、恋愛の第一段階では、男が競争して女が選択します(生物学でいう「メスの性選択」)。
婚活アプリの登場で恋愛の自由競争が熾烈になったこともあり、一部の若い男が思春期の段階で恋愛市場から脱落してしまう現象が起きました。これは英語圏では「インセル=involuntary celibate(非自発的な禁欲主義者)」、日本では「モテ/非モテ」問題と呼ばれています。
拙著『無理ゲー社会』(小学館新書)で論じたように、日本でも欧米でも、若くして社会からも性愛からも排除されてしまった人が増えてきました。
ところがこの「格差問題」は、メリトクラシーを前提とする以上、「本人の努力が足りないからでしょ」という話になってしまいます。
――モテない=努力不足と言われるとつらいです。
自己責任論に対抗するには、「知識社会に適応できるかどうかは、本人の努力以外の要因で決まっている」と主張しなければなりません。
これまでずっと、この要因は「環境」とされてきましたが、それだけでイーロン・マスクのようなとてつもない個人資産をもつ者が出てくる理由は説明できません。そうなると残るのは、「遺伝」しかなくなります。
これまでリベラルは、遺伝的要因を強調することを「ナチスの優生学と同じ」と全否定してきました。ところが驚くべきことに、今やアメリカの左派(レフト)の知識人は「運の平等主義」という遺伝決定論を唱えています。
運の平等主義では、イーロン・マスクやジェフ・ベゾスはたままた高い知能という「遺伝ガチャ(ジェネティック・ロッタリー)」に当たっただけで、富を独り占めする道徳的な権利はないとされます。
だとすれば、国家が徴税などの暴力装置を使って超富裕層の資産を取り上げ、「遺伝ガチャ」に外れた貧困層に再分配することが正当化される、というわけです。

――日本では、「影」はどのように表出しているでしょうか。
日本だけに限りませんが、SNSには「きらきらした」人たちの存在感を過剰に強調する機能があります。「自分以外はみんなリア充」だと感じられて、落ち込んでしまうでしょう。ティーンエイジャーの女子の間で拒食症が広まっているのは、インスタグラムなどで極端に痩せた(修正の)自撮りを見せられるからだと、アメリカの議会で問題になりました。
ここでも、「努力すれば痩せられるはず」という自己責任論が強い呪縛となってのしかかります。「努力すれば夢はかなう」という理想論(きれいごと)によって逃げ場がなくなり、どんどん生きづらくなってしまうのです。
現実には、成功しているように見えるセレブでも大きなストレスを抱えていて、必死に“虚像”を演じているのかもしれませんが、若者ほど裏側を知る機会がなく、SNSのメッセージを真に受けてしまう。これはつらいです。
――それでもリベラルな社会になるのはいいことですか。
はい。身分によって職業が決まっていたり、生まれたときに女性の嫁ぎ先が決まっている社会よりは、「自分らしく生きられる」社会の方が望ましいのは明らかです。リベラル化が、総体としては、人類の幸福度を大きく高めたことは間違いありません。
出版業界で“極右”と呼ばれている編集者と話をしたことがあるんですが、その方には娘さんがいて、「やっぱりお子さんには、自分らしく生きて夢を実現してほしいと思いますよね」と聞いたら、「もちろんですよ」と即答されました。もはや誰であれ、リベラルの価値観を疑うことすらできないんだなあ、と思いました。
――リベラル化した社会で、つらさを回避する突破口はないんでしょうか。
難しい質問ですが、いま興味を持っているのはWeb3.0です。
2011年に、ゲームデザイナーのジェイン・マクゴニガルが『Reality is Broken(現実は壊れている)』(邦題は『幸せな未来は「ゲーム」が創る』/早川書房)という本を出しました。
今の若者は失敗を恐れてリスクを取らないといわれます。中高年はリスクを取ってきたのかといえば、定年まで会社にしがみついているわけですから、全然そんなことはないと思いますが、失敗すると傷つくし、批判されるのを恐れるのは誰でも同じです。
ところがマクゴニガルは、ゲームの世界は失敗すればするほど楽しくなるようにできていて、むしろ失敗しないでゴールまで行くなんて面白くもなんともない、といいます。
失敗と再チャレンジを繰り返してステージをクリアすると、さらなる失敗が待っていてモチベーションが上がるようにゲームは設計されている。だったら現実をゲームと同じようにつくり変えればいいという主張です。

サイバーリバタリアンとは
こうした発想は実はマクゴニカルだけでなく、私が「サイバーリバタリアン」と呼んでいるテクノロジー至上主義者(テッキー)に共通するもので、認知的な限界がある人間(大衆)があれこれ議論するよりも、社会全体の効用(幸福度)を最大化するような制度を功利的に設計し、それを強制的に適用すればいいと考えます。
サイバーリバタリアンのなかには、子どもの頃からバーチャル空間に親しみ、それに比べて現実は壊れているという感覚を持っている若者も多いでしょう。バーチャルは楽しくてリアルは楽しくないなら、リアル世界をバーチャル世界に合わせて変えてしまえばいいわけです。
それぞれの主張には違いはあるでしょうが、イーロン・マスクも、グーグルのラリー・ペイジやセルゲイ・ブリンも、シリコンバレーの成功者は多かれ少なかれみんなサイバーリバタリアンです。社名をメタに変えて、メタバースに注力すると宣言したマーク・ザッカーバーグも、当然、同じことを考えているでしょう。
Web3.0やメタバースがどこまでいくのか、半ば懐疑的ではありますが、仮想世界ではどんな制度でも自由に「実験」できます。そうやって成功したものを現実に取り入れていくことで社会が変わる可能性はあると思います。
――どんな実験をするといいんでしょうか。
※第4話に続く。2022年9月28日公開。