
最大の制約は他人がいること スキルのある人から独立するのは必然
構成/三谷弘美
今、なぜ自由な働き方をしたいという人が増えているのか。自分らしく生きるには、物理的制約、経済的制約、時間的制約がある。それ以上に大きいのが、「社会的制約」と、作家・橘玲氏は指摘する。
――確かに今、毎日決まった時間に会社に集うのを好む人は少ないし、特にスタートアップはそんな企業はほとんどないです。これも自分らしく生きたいという欲求の現れでしょうね。
そうですね。「自分らしく生きる」ためには、いろいろな制約があります。空を飛びたいと思っても重力があるというのは物理的制約ですが、これはテクノロジーによって解決可能だし、今後も人間の能力は拡張されていくでしょう。

好きなものがあっても買えないというのが経済的制約。しかし、私たちが生きている「とてつもなく豊かな社会」では、この制約を気にしなくなった人が急速に増えています。
個人資産が10兆円を超えたイーロン・マスクやジェフ・ベゾスはもちろんですが、そもそも衣食住などに使うことのできるお金には物理的・生物学的な上限があります。

日本の大卒サラリーマンの生涯収入が3~4億円で、それで結婚し、マイホームを買い、子どもを大学まで入れて、なおかつ老後のための資産形成までするわけですから、カジノで散在するとか、現代アートのコレクションに大金を注ぎ込むとかしなければ、生涯で10億円使うのもかなり大変でしょう。
使いきれないお金は、銀行のサーバーに格納されたデータに過ぎません。ビル・ゲイツはとても賢いので、熱心な慈善活動家になって、無意味なデータを評判と交換しているわけです。

――そこまでお金持ちでなくても、「もうお金はいいからやりたいことをやるんだ」と言う人は多いですね。
「とてつもなく豊かな社会」では、経済的な制約よりも、時間資源の制約の方が大きな問題になります。イーロン・マスクやジェフ・ベゾスも私たちと同じく1日は24時間しかありませんし、どれだけお金を払ってもこの制約は変えられませんから。
近年の多くの研究で、十分な睡眠こそが学習や能力開発、イノベーションに必要な最強の自己啓発ツールであることが分かってきました。それに加えて、睡眠の効果を最大化するには、昼間のぼーっとする時間(マインドワンダリング)が大事だとされます。その時間にさまざまな気になることをタグづけし、それを睡眠中に整理することで学習効果が上がるのだそうです。
マルチタスクで複数のことをいっぺんに処理すればいいと思うかもしれませんが、脳はそもそも一度にひとつのタスクしか処理できず、頻繁なタスクの切り替えで疲れ果ててしまい、かえって効率が悪くなることも分かってきました。しかしそうなると、睡眠、食事、仕事、運動、さらには育児などどうしても必要なことをして、そのうえぼーっとする時間も確保しなければならない……。
――ああ…もう、残り時間がないですね(笑)
はい。こうして現代社会では、お金より時間が貴重になって、若い人が「タイパ(タイムパフォーマンス)」を重視して映画を1.5倍速で観るようになったんだと思います。ジェフ・ベゾスも、朝早く起きてゆったり過ごし、重要な意思決定が必要な会議は10時から始めて午前中で終える。午後の仕事は夕方には終えて、早く寝て8時間の睡眠を確保しているそうですし。
物理的制約、経済的制約、時間的制約以上に大きな影響力をもつのが「社会的制約」です。私が「自分らしく生きたい」と思っているのと同じように、周りにいる人たちも、あるいは地球上の70億の人たちがみんな「自分らしく生きたい」と願っている。私の「自由」は、まわりの人の「自由」と折り合いをつけないかぎり実現できません。
日本でもシングルマザーや女性の高齢者の貧困が社会問題になっているので安易な楽観論はいえませんが、社会が豊かになるにつれて人々は徐々に経済的な制約から解放され、その代わりにほとんどのストレスが人間関係から来るようになります。
会社に行けばパワハラする上司、足を引っ張る同僚、わがままな部下がいて、なぜ人間関係を選択できないのかと思うのは当たり前です。
アメリカのライターで、Mangaファンとしても知られるダニエル・ピンク氏は、早くも2001年の『フリーエージェント社会の到来』(新装版・ダイヤモンド社)で、誰もが自分らしい生き方を求めるようになれば、「雇われない働き方」が主流になるだろうと予想しました。

それから20年たって、アメリカではまさにそのような変化が起きています。
――フリーエージェント社会は、今だからこそ実現したんでしょうか。
会社が存在する理由は、一人より分業した方が効率的だからです。私が独力でクルマをつくろうとすれば一生かけても無理でしょうが、トヨタの工場では1日何百台、何千台というペースで新車が生産されていますよね。
フリーエージェントは分業ができない分だけ効率が悪いというのが従来の常識でしたが、そのコストはテクノロジーによってかなり下がっています。
面倒な税務申告でも、銀行取引やクレジットカードの明細はクラウドで読み取らせ、経理ソフトで入力したものをオンラインで税理士に送る…といったSaaSサービスの進化もあります。
手間のかかる業務をアウトソースすることで、自分が最も得意なこと(専門性)に注力できるようになりました。
SNSの個人の信用が可視化される
もうひとつ重要なのは、SNSなどで評判が可視化されるようになったことです。これまで大企業が仕事を独占してきたのは、「個人や零細企業に発注すると何かトラブルがあったときに、責任問題になるんじゃないか」という不安があるからで、結局「これまで通り電博(電通と博報堂)を通しておこう」という話になりました。
ところが今では、大企業の無名の社員よりも、SNSで評判を持っている個人の方がステイタスが高くなった。そのうえ評判は極めて壊れやすい資源なので、個人のほうがそれを守ろうとする強いインセンティブを持っている。大企業の社員だと、「トラブルなったら別の部署に異動させてもらうか、転職すればいいだけ」と思っているかもしれませんし。

私の知っている範囲でも、医療・健康のような専門性の高い分野では、実績のある医療ライターがクライアント企業から直接、仕事を発注されることが増えています。
そうなれば、面倒な仕事を断って、プロジェクト単位で気の合う人との面白そうな仕事をすればいい、となりますよね。ダニエル・ピンク氏が予言したように、日本でも世界でも、こうした働き方がこれからの主流になっていくのだろうと思います。
※第3話は、2022年9月27日公開。