
2022年2月1日
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齋藤 僕は、大学を中退して渡米した後はシリコンバレーのコミュニティカレッジに入り、卒業後は現地の音楽配信会社で働きました。
2000年から2005年まで、20歳から25歳の青春をそこで過ごしましたね。

佐々木 中退してまで行くなんてすごいですね。
齋藤 あの頃は必死でしたね。今ならまた状況が違うと思うのですが、当時の僕の前には、大学を卒業した先には「大企業に入って安定した環境で働く」というレールが敷かれていて。
本当にそれでいいのかなとずっと思っていました。
竹下 シリコンバレーで最先端のビジネスに携わる中で、ビジネスに対する考え方は変化しましたか。
齋藤 変わりましたね。僕はもともと、仕事とは「お金を稼ぐこと」だと思っていました。
でもシリコンバレーでの経験を経て、「社会的なインパクトをもたらすこと」が重要なんだと気づきました。
さらに最近では、やりがいや生きがいにもすごく価値を見いだすようになってきましたね。40歳に近づくにつれてどんどん利他的になっていくのも実感しています。
もちろん、お金を稼ぐことも大切です。でも結局は、そのお金で何をしたいのかなんですよね。
僕はたくさんのお金を稼いだとしても、おそらく今と同じ仕事をしていると思います。それが紛れもなく、僕自身のやりたいことですから。
佐々木 シリコンバレーを離れて帰国後は、何をしていたのですか。家賃を払えないような時期もあったというのは本当ですか。
齋藤 本当です。帰国後は、東京で起業をしたんです。一度は東京でビジネスに挑戦してみたいと思って。
ただ、東京でアパートを借りることも初めてで知らないことだらけ。敷金と礼金がなぜ必要なのかという点から疑問で、不動産屋と激しく議論したこともありましたね(笑)。

仕事の面では完全に調子に乗っていました。アメリカではクリエイティブディレクターをしていて発注をする側でしたし、いくらでも仕事はあるだろうと思っていたので。
シリコンバレー時代の知り合いから「日本に帰るんだって? 仕事を発注するよ」と言っていただいても、「いや、大丈夫です。自分でやりたいんで」と断わったりしていました。
佐々木 かっこいいですね。
齋藤 でも、そんな奴には仕事なんてあるはずないんですよね(笑)。だから、おそろしいスピードでお金がなくなっていきました。
調子に乗って帰ってきたから、親にも「お金を貸してほしい」なんて言い出せない。あの頃の僕はとにかくプライドが高かったんです。
仕事もなく、預金残高がどんどん減っていくので、閉店間際のスーパーで割引シールが貼られるのを待って買い物をしていたこともあります。
「自分はいったい何をやっているんだろう」と情けなくて、うつのような状態にもなりました。
「家賃を払えなくなるかもしれない」という恐怖は忘れられなくて、今でもトラウマのようになっています。もう絶対にあんな体験をしたくないですね。
佐々木 それが今につながる原動力にもなったのでしょうね。
齋藤 本気で動き出したのは、いよいよ本当に家賃が払えないという状況になってからです。
背に腹は代えられないと思って、インターネットのいろいろな掲示板に「何でもやります」「仕事させてください」などと書きこんで、どこよりも安くやっていました。バナー広告を1個3000円ほどでつくったりしていましたね。
でも、つくったところでクライアントからは「なんか違う」と突き返される。「すみません、何が違うんですか?」と聞いても、「何か違うんですよ」と曖昧な返事をされて……。こんな仕事はもう嫌だと思いながらやっていました。
ただ、そうして地道に仕事を続けていくと、その様子を見てくれている人がいて、大きな仕事をいただけるようになったんです。
そこで成果を出したら、それがまた次の仕事につながって。最終的には、表参道にオフィスを構えるまでになりました。
竹下 すごいですね。

齋藤 クライアントに喜んでもらえるのは嬉しかった。けれど次第に、つくっては次、つくっては次……という繰り返しの日々に疑問を持つようになっていったんです。
僕は何をするために日本に帰ってきたんだろう。そう考えていたときに東日本大震災が起きました。
ボランティア活動をしたり、インターネットで地域の情報発信をしたりするようになり、そうした活動にはすごくやりがいを感じたんです。
たくさんの人に触れ、地域に足を運びながら分かってきたのは、「自分が得た知識や経験は自分一人でつかみ取ったものではなく、社会から与えられた“ギフト”なんだ」ということでした。

与えられたギフトを、今度は社会に返していきたい。
そう思うようになって、まちづくりの団体を設立しました。僕はその頃から全国各地で、地域の課題をビジネスで解決することについてお話をしていたのですが、当時はそういう考えが新しかった。
さまざまなメディアで「シリコンバレー流地域づくり」と紹介されたこともあっていろいろな方に声をかけていただき、新富町役場が設立した地域商社「こゆ財団」の代表理事に就任したのが2017年のことでした。
寄付金や「ふるさと納税」の仕組みを使って累計50億円を集めた実績が評価され、さらに視野が広がって2019年秋に起業し、今に至ります。
竹下 齋藤さんのお話を伺っていると、農業の今後にとても希望を感じます。これから農業に関わりたい人には、どんな未来が待っているのでしょうか。
本格的に農業に参入したい人、都内などにいながら副業として少し農業をしたい人など、いろいろなパターンがあると思うのですが。
齋藤 農業を始めたい人を阻む一番の壁は、「難しそう」「大変そう」という思い込みではないでしょうか。
おそらく、この記事をご覧になっている方の多くもそう感じておられるのではないかと想像します。

竹下 そうですね。関心はあっても「難しそう」と思ってしまいます。
齋藤 まずは、そうした思い込みを取り払うことですね。
もちろん、「難しい」「大変」という一面もあるのは事実です。しかし少なくとも、僕が現場でご一緒している農家さんはそうではありません。めちゃくちゃ楽しみながら農業をしています。「農業が一番儲かるなぁ!」と言いながらイキイキと働く農家さんもいます。
それもまた事実ですので、“農業に対する勝手な思い込み”を取り払うことが第一歩になるのではないでしょうか。