
【深井龍之介】カルトと世界三大宗教を一緒にするな
取材・構成/古澤誠一郎 撮影/竹井俊晴
日本を変えるイノベーターが仕事の軌跡と半生を語り尽くす新連載「マイヒストリー」。挑戦者たちの原点と未来のビジョンが明かされる。人気のポッドキャスト「歴史を面白く学ぶコテンラジオ」を配信するCOTENの深井龍之介CEOが、世界の未来と自分史を語り尽くす(全30話)。

カルトと世界三大宗教はまったく別物
今、日本では「宗教」が注目を集めていますが、カルトと呼ばれるような一部の新興宗教団体と、世界三大宗教(仏教、キリスト教、イスラム教)のような宗教はまったく別物です。
世界三大宗教のような歴史ある宗教は、その教えが広まる過程で思想の強固さを高めてきました。

その教えを整備した人には、知性が非常に高い人が何人もいましたし、その宗教に疑いを持って挑んだ天才たちもいましたが、それでもその宗教は負けなかった。
それが世界三大宗教なので、そこらへんに生きている人が簡単に論破できるものではありません。
新興宗教のカルトと呼ばれるような団体と一緒くたにされてしまうのは気の毒で、明確に区別すべきだと僕は思っています。
しかし、オウム真理教事件などがあった日本では、カルトへの恐怖とごちゃまぜの状態で宗教自体への嫌悪感が強いように感じます。

洗脳されている感覚=宗教?
皆さんが「宗教」と呼んでいるものが何によって定義されているのかも、歴史を学ぶことでメタ認知できます。
僕が「すごく現代人っぽいな」と感じるのは、宗教の本質が「洗脳されている感覚」にあると考えている人が多いことです。
しかし、そうした「洗脳されている感覚」は科学でも起きています。テレビ番組のワイドショーでも起きています。
洗脳されている感覚=宗教とするならば、科学もワイドショーも宗教と呼べてしまいます。そのような区分でキリスト教や仏教などの宗教を考えないことが大事です。

三大宗教は学術的・論理的にも力がある
世界三大宗教と呼ばれるような宗教は、深く勉強すると「学術的にも論理的にもすごい力を持っている」と感じます。
宗教家の人たちと話しても、その思想の強さを感じます。
僕は特定の宗教に寄りどころを持っていない人間ですが、「多くの人が宗教に帰依する時代に戻ってもいいのではないか」とさえ思います。

宗教は哲学として強いうえに、基本的には社会善をよしとしていて、反社会的なものではありません。その思想の中にはお互いに助け合う相互扶助の仕組みも入っています。
もし人生のよりどころがなく生きるのがつらいと感じるなら、忌み嫌わずに宗教の勉強をしたり、立派な宗教家の話を聞いたりするのもいいと思います。
それでも宗教をダメだと思うなら否定してもいいですが、宗教哲学の本を100冊読めばすごいと感心するはずですし、素晴らしいと思ったら入信してもいいと思います。

科学を信じている人は「科学教」
「私は宗教なんか信じない」という人がいますが、そういう人は違う何かを信奉しているだけです。
例えば科学が大事だと考えている人は、「科学という宗教を信奉しているだけ」で、その科学を信奉する思考には実は根拠がないことも多いです。
科学の専門家の本を読んだり話を聞いたりして、「偉い学者さんが言っているからそうに違いない」と考えるのは、宗教団体の教えを信じる構図と一緒です。

根拠なき「アカデミック教」も
また、アカデミックを無条件で信じている人は「アカデミック教」です。
過去の論文を根拠にすることはアカデミックの一つのルールですが、「どの論文がどのレベルの確かさを持っているか」をきちんと確認しなければ、論文を根拠にしても何の意味もありません。
そのためアカデミックな領域でも「これだと鎌倉時代に南無阿弥陀仏を唱えているのと変わらないな」と感じるものは山ほどあります。
人間はすべてを疑っていたら生きるのが大変なので、何かを信奉するしかありません。人間の脳みそはそれだけイージーにできています。

科学を信じても救われない
そして人は、科学を信じても救われません。科学には「これを信じたら救われる」という教えもないし、善悪を判断する基準もないからです。
なので僕は、「依るべきものがなく不安なら、世界三大宗教のような何千年の歳月を耐えてきた超ちゃんとした宗教を信じるほうがいいと思いますよ」と先に述べたわけです。
少なくとも、そこらへんのYouTuberを信奉して洗脳されるよりは全然いいと思います。

次回は本連載の最終話です。僕とCOTENの現状と未来について語ります。
*本連載は2話ずつ毎日公開します。第30話に続く。