
2022/09/14
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将来の仕事については、大学に入学した当初は「いい会社に入る」くらいのことしか考えていませんでした。真剣に考えるようになったのは就活の時期からです。
ただ、大学時代にいくつかのアルバイトを経験して、自分に向いていることと向いていないことがハッキリ分かりました。「こういう仕事は向いているかも」と感じたバイトの一つは家庭教師です。
先に述べたように、僕は勉強ができない状態からスタートし、自分で「勉強の仕方」を考えて、戦略を立てることで勉強ができるようになりました。
その経験は家庭教師で生きました。子供たちに少し教えると、「なぜ今、この子は勉強ができないのか」が僕には把握できたんです。

そのうえで教科別にどこで成果が上がっていないのかを分析し、「それぞれの教科の勉強の仕方をどう変えるべきか」「その勉強法をどれだけ続けたらどのくらい成績が上がるか」を両親にプレゼンしました。
そんなことをする家庭教師はほかにいなかったと思います。僕は、その方法で実際に子供たちの成績を上げていったので、両親からいいお金をもらっていました。
大学時代は奨学金を限度いっぱいの12万円借りていて、家庭教師の高額バイト料もあるというリッチな生活をしていました。たぶん就職1年目よりお金があった。
貧乏だった頃の社会への怒りや恨みを忘れられたのは、そうやってお金に余裕ができたことも大きかったと思います。
逆に「これは自分にはできないな」と感じたバイトもありました。大学4年生の頃、レンタルビデオ店でアルバイトしてみたときは、自分が無能だと分かって本当にビックリしました。

まず、レジでの会計がまともにできない。僕は決められたルール通りに、決められた手順をこなす仕事には完全に不向きだったんです。
またJ-POPとかには全然興味がなかったので、アーティスト名を一切覚えず、「清水翔太ってどこですか?」と聞いてきたお客さんを演歌コーナーに案内したりしていました。
僕はお客さんにも興味がないので、お客さんに舌打ちをしてメチャクチャ怒られたことがあります。店長は僕を叱りつつ呆れていましたが、僕は他人の評価に興味がないので、店長の評価もどうでもいい。

そんな態度だったので、新卒で入社した大手電機メーカーでは、恐ろしいくらい会社と軋轢(あつれき)を生む経験をすることになります。
就活では4つの業界の企業から内定をもらっていました。そこから選んだのがその会社です。理由はシンプルで、最新のガジェットや家電製品が好きだから。
当時のその会社は半導体分野で日本一の企業だったので、「最新ガジェットにいろいろな領域で深く関わるならここの半導体部門だな」と考えたわけです。
その頃は、サムスンや米国企業と三つどもえの戦いを繰り広げていました。当時から僕は三国志を勉強していて好きだったので、面接ではその戦いを三国志に例えて、その会社を勝たせる方法を説明し、内定をもらいました。

*本連載は2話ずつ毎日公開します。第18話に続く。