
2022/08/11
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コロナ禍の最中の2021年夏、ポケトークに強力な助っ人がジョインすることになる。後に分社化されたポケトークで、社長の松田憲幸に次いで会社に加わった取締役CMOの若山幹晴だ。34歳にして、大きなポテンシャルを持つ新会社のマーケティング担当役員に抜擢された若山とは何者なのか。

出会いを取り持ったのは、松田とは長い付き合いがある転職エージェント・森本千賀子だった。松田と若山、双方とつながりがあった森本は、2人に「面白い人がいる」と伝えて紹介したのである。松田は語る。
「最初に会ったときから気が合ったんです。これはぜひ手伝ってもらいたいと思って」
それが2021年の春だった。若山はその年の4月に起業。企業のマーケティング活動をサポートするワカパルを立ち上げたばかりだった。同時に副業OKの会社への転職が決まっていた。
松田は社員として招き入れたかったが、このタイミングではそうもいかない。そこで、業務委託でポケトークの事業をサポートしてもらうことを考えた。若山は当時を振り返ってこう語る。
「お誘いいただいたのですが、転職をすることはできず、まずはコンサルティングのような形でお付き合いを、とお話をいただきました。ところが、しばらく経った夏頃に、業務委託の形で構わないので事業責任者をやってくれないか、とオファーをいただいて。これには本当に驚きました」

シリコンバレーに移住してしまったこともそうだが、松田には数々の型破りの歴史がある。このときも業務委託でお願いしているスタッフに事業責任を委ねてしまうという、なんとも大胆な決断をするのである。
若山は2013年に名古屋大学大学院を修了後、P&Gに入社している。マーケティング職には理系も少なくなかったが、機械システム工学科の修士を経たキャリアは珍しかった。
順当に行けば、自動車メーカーへの就職が大半の学歴。だが、大学院在学中にアメリカのUCLAに留学したことが、若山の人生を変えた。

「アメリカの大学には、一度社会人になって30代から大学に戻って勉強しているアメリカ人もたくさんいるんですね。どうしてなのか理由を尋ねると、新しく勉強したくなったからだ、と」
大学で勉強したことがそのまま就職に直結するイメージを持っていたが、アメリカ人の視野はもっともっと広かった。
「これはカルチャーショックでした。なるほどいろんなことをしていいんだ、と思ったんです。それで就活でいろんな会社を受けてみて、出会ったのがP&Gのマーケティング職でした」
内定を得た後に、今度は韓国に短期留学している。ここでも大きな学びを得た。
「やっぱり行ってみないと分からない世界があるんだな、と改めて知りました。日本との共通項もあれば違いもある。経済を勉強することになったので、これもまた新しい世界でした」

P&G入社後は、主にヘアケア商品を担当。インバウンドが拡大する中で、日本でインバウンドチームを立ち上げたり、オリンピックのスポンサーシップを使ったマーケティング戦略などを担当した。
「自分のキャリアの礎を築くことができました。大きかったのは、顧客志向で戦略を作る意識が染み付いたこと。これは徹底的に叩き込まれました。
もう一つは、ビジネスの結果にこだわるところです。1年目からヒリヒリするような環境で仕事をすることになりました。常に真剣になるというマインドセットも大きな財産だと思っています」
もう一度、学生に戻って就活をするとしたらどこに行くか、と聞かれれば、胸を張ってP&Gと答えると若山は語る。そのくらい幸運なことだったという。だが、6年でジーユーに身を転じる。
「消費財以外のマーケティングでどこまで自分が通用するか、知りたかったんです。もう一つは、ジーユーの柚木治社長に出会えたこと。ご縁はタイミングだと捉えて、思い切って転職しました」

消費財とファッションではモノづくりのプロセスも考え方もまるで違ったが、若山はジーユーにマーケティングの視点を加えていく。
「柚木さんからも、それまで以上に顧客視点を入れていってほしいとお話がありました。その中で、ポイントプログラムなど、ジーユーLOVERを増やしていくための、いろいろな仕掛けを作っていきました」
マネージャーとしての入社だったが、わずか1年半で史上最年少のマーケティング部長に抜擢される。当時、32歳だった。
「マーケティングだけでなく、PRや広報など広くお客さまとの接点になるところを全領域任せていただけて。これは幸運でしたし、チャンスをくださったことに感謝しています」
入社2年で退職したのは、起業するなら今のタイミングしかないと考えたからだ。そしてワカパルを作った。
「マーケティングのアドバイザーとして、地方の中小企業を支援しています。特に着物など、伝統産業を復活させられないかと考えていました」
そんな中、松田と出会った。

*明日に続く。