
2022年3月14日
読了目安4分

僕は2014年にクリエイティブ・ディレクターになり、7年間、試行錯誤しながら多くの広告制作に取り組んできました。
まず、ざっくり言えば、クリエイティブ・ディレクターの仕事とは「課題を特定し、アイデアを考え、世の中に出すこと」です。
クリエイティブ・ディレクターは、かつて広告業界だけに存在していました。しかし、この能力は、意外にもほぼすべての仕事に応用が利きます。
とくに、不確実性が高い現代においてはなおさら。ビジネスパーソンが次から次へと日々新しい壁に直面している中で、課題を特定し、解決に導くアイデアを考え、実施する力は、誰にとっても必要なのではないでしょうか。
僕自身も、想像のできない課題に日々直面しています。例えば、2020年に手掛けた大塚製薬のポカリスエット「ポカリNEO合唱」の広告。

もともとは、500人近くの中高生が集まり合唱をするというCM企画でした。しかし、新型コロナウイルス感染拡大を受けて、「撮影ができない」という制作上の課題に直面したのです。
そこで、中高生の自撮り動画を集めて「NEO合唱」を完成させるというCMに変更。
出演者たちに、自分が生活する場所で歌う様子をスマホで撮影してもらい、合唱としてひとつに編集したCMは、大きな話題となりました。
(実はこのアイデアは、もともと僕たちデジタルチームがWEBのみで行おうと考えていた企画だったのですが、急きょクライアントとチームで話し合い、CMにスライドさせることになりました。)
クライアントからいただいていた「ポカリスエットの価値を高めたい」という課題はもちろん、新型コロナウイルスによる「通常の撮影ができない」という課題も、クリエイティブの力で解決することができた。
これが評価され、2020年のクリエイター・オブ・ザ・イヤーを受賞することができました。
クリエイティブ・ディレクションの力があれば、ときに社会現象を起こすことも不可能ではありません。
例えば僕は、「好きなことで、生きていく」というコピーを展開したYouTube(Google社)の広告の仕事で、このことを実感しました。
このときの課題は3つ。「YouTubeクリエイターになりたい人を増やす」「YouTube動画を見たい人を増やす」「YouTuberチャンネルに広告を出したい企業を増やす」でした。
ちなみに、当時の日本では、インターネット動画配信サービスといえばニコニコ動画が圧倒的なシェアを持っていました。まだ「YouTubeクリエイター」という仕事があまり認知されておらず、批判的な視線も少なくなかったくらいです。
そこで、僕らのチームが解決策として考えた手法は2つ。1つ目は、「ドキュメンタリーの手法」。当時、テレビ番組の「情熱大陸」「プロフェッショナル 仕事の流儀」がはやっていたこともあり、YouTubeクリエイターの生き様をドキュメントとして描くことで、世の中に共感を生もうと考えました。

実際、CMの第1弾にご出演いただいたヒカキンさんは、ものすごい努力家。かつてはスーパーの店員をしながら毎日動画を上げ続けていたことなど、目に見えない部分にスポットを当てたCMを作りました。
2つ目は、「世の中のインサイトを捉えること」。多くの方は「自分の本当に好きなことを仕事にしたい」という潜在意識を抱えています。
今の時代に膨らんできたその欲求に向けて、「好きなことで、生きていく」というコピーを開発しました。
(外資系企業がクライアントの場合、本国のコピーを翻訳するだけのケースも少なくありませんが、日本独自のコピーにこだわりました。)
このCMをテレビ、YouTube、街頭ディスプレイで展開した結果、日本でのYouTubeの認知度は上がり、YouTubeクリエイターが憧れの職業にまでなりました。
いまや多くの企業がYouTubeクリエイターのチャンネルに広告を出稿しています。自分の関わった広告により、世の中の流れがガラっと変わる実感がありました。
クリエイティブ・ディレクションで、社会を動かすきっかけをつくることができたのかもしれません。
実は、当時僕にクリエイティブ・ディレクションの仕事が集まっていたのには、ひとつの理由がありました。「マス広告」と「デジタル広告」の両方の技術があったのです。

僕は1997年、CMプランナー志望で電通に入社しました。新人コピーライターとしてラジオ広告などを手掛け、テレビCMのプランナーとして賞をいただけたこともありましたが、自分としては限界を感じていました。
電通にはすでに圧倒的に突き抜けたCMプランナーがたくさんいて「この中でトップにはなれない」と。
そこで、2009年、自ら手を挙げデジタルの部署に異動しました。
まだデジタル広告が主流でなかった時代に、素晴らしいデジタルの仕事を連発している後輩たちに弟子入りする気持ちで、年下の社員たちからその手法を学ばせてもらいました。
そうして僕は、マス広告とデジタル広告の両方の手法を使い、目的に応じて最適な提案ができる「次世代型クリエイティブ・ディレクター」として注目してもらえるようになりました。

今ではひとつの企画をマスとデジタルの両方で展開する広告はスタンダードになりましたが、早い段階でそれができるようになっていたことは、大きな武器だったのです。
この経験から、今も新しい領域でチャレンジしている方ほど「クリエイティブ・ディレクター」として活躍できる可能性が大きいのでは、と感じています。
今回は僕の経歴をお話しさせていただきましたが、最初にお伝えしたように、この世に課題がある限り、クリエイティブ・ディレクションという仕事は必要であり続けると考えています。
広告業界だけで使うのは、あまりにもったいない技術。後編では、改めてクリエイティブ・ディレクションの定義と、本連載の意図について詳しくお伝えします。
(カバーデザイン:森 千紗)