
2022/02/01
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僕は東京のほかに外房の海沿いの街、一宮町にも家があります。
コロナ禍で、郊外にも生活や仕事の場を持つ、二拠点生活に注目が集まっていますが、僕自身は15年ぐらい前から実践していることになります。僕からすると、ようやく来たかという感じです。
僕は都会と田舎を行き来する生活リズムが素晴らしいと思っていて、周りの人にも勧めてきました。
東京駅から最寄りの上総一ノ宮駅までの特急での往復2時間は、必ず座れて思考や読書に集中できるゴールデンタイムになっています。

僕が外房にアパートを借りたのは、サーフィンのためです。
サーフィンを始めたのは25歳のとき。きっかけは、女性にふられて自己嫌悪に陥り、今のままではダメだと自分を変えたくなったからです。
そのとき、自分の人生の延長線上にない、むしろ一番遠いところにあるものをあえてやってみようと考えました。頭にパッと思い浮かんだのがサーフィンでした。
僕はもともと映画鑑賞が趣味で、家に一人でいるのが好きなインドア派。海なんて大嫌いでしたが、サーフィンをやってみたら一発でハマってしまった。
完全にどハマりしたサーフィンをやる環境をどうつくるかを考えて、二拠点生活を始めたというわけです。

今、アパートを借りている一宮町は、東京2020オリンピックのサーフィンの競技会場になった釣ヶ崎海岸を有する、サーファー憧れの聖地です。
仲間と3人でシェアしているので、家賃はスポーツジムの会費くらい安いんじゃないかな。
どんなジャンルでもやってみたら、それなりに面白いじゃないですか。だからよく新しいことに挑戦しては「面白い!」「ハマった!」と言っていましたが、本当に夢中になるというのはこういうことなんだと実感しました。
逆に、今まで「面白い」と言っていても、本当の意味でハマったことなんて一度もなかったことに自分自身初めて気づかされましたね。
以前、どこかの本で読んだのですが、「純粋欲求」という言葉が好きなんです。人に止められてもやってしまう。
「冷静に考えたら今これをしたらダメだよな」とか、「今めちゃくちゃ忙しい。優先順位として、これよりも先にやることがあるだろう」というときでも、理屈より先に体のほうが動いてしまう。
隠れてでも、うそをついてでもやってしまう行為。それが純粋欲求。僕にとってサーフィンは純粋欲求の塊なんです。
最低でも週に1回はサーフィンをやらないと、禁断症状で手が震える(笑)。ちょっと病的かもしれません。ほかのことに手がつかなくなってくるんです。

毎日仕事中に数十回は、波情報アプリをチェックしながら、行けるタイミングを常に狙っています。
基本は一人で、なるべく空いている平日に行きます。車も道具も現地に置いてあるので体一つで行けばいい。終電で向こうに行き、日の出前に海に入り、午前中の仕事までに電車で戻ってくるという感じです。
サーフィンのどこにそこまで夢中になるのか、自分でもいまだに分かりません。
一つ言えるのは、スポーツという要素ではないということです。ほとんどのスポーツは対戦相手やルールがあって成立します。
一方のサーフィンはオリンピック競技になったとはいえ、波という自然が生み出すエネルギーに同調するだけの行為。100%自然が相手なので、こっちの都合なんて何も考慮してくれないし、コントロールすることもできません。

例えば、ようやく休みが取れて「やっとサーフィンに行けるぞ」と勢いよく海まで来たのにもかかわらず、波がなかったり、波があっても入った瞬間に強風が吹いてきたり。
1時間前に入っていた人に「さっきまで良かったよ」なんて言われると、「ああ、1時間前に来ていれば」とイライラする。1週間をこのときのために生きているのに!
ただ、自然相手にイライラしても仕方がありません。海に向かって波来いと怒鳴っても、何も起きない。努力したらオンショアがやむようなこともない。
人間にできることは「待つこと」と「合わせること」だけです。波がなければ、波が来るまで待つしかありません。
そして波が来たら、そのエネルギーに合わせることしかできることはない。サーフィンのそういうところが、自分の性に合っていた気がします。
そしてこれは編集の仕事とも重なります。
編集者が対峙するのはいわば人間の「才能」です。そして才能が開花するかどうかは、自然と同様、編集者が無理にコントロールしようとしてもムダなんですね。
もし僕ごときがコントロールできたとしたら、それは相手に才能がないということです。
編集者にできることは、やはり基本的には「待つこと」と「合わせること」。相手の才能を信じて、相手の才能が開花するための手助けをするだけです。
編集者には企画力が大切だと思われていますが、編集者が企てた枠組みや絵図なんて、たかが知れています。
企画にこだわり、相手の才能をその枠内に閉じ込めてはいけない。そこにとらわれると、結局自分の想像以下のものしかできないでしょう。
もしそれ以上のものを生み出したいと思うのであれば、相手をコントロールしようとする気持ちを手放し、ただその才能が芽吹く瞬間を辛抱強く待ち、寄り添うしかない。
僕も20代の頃は企画主導型の編集者でしたが、今は作家の才能主導型に一変しました。
編集者に企画力なんて必要ありません。そういう価値観に変わってきたのは、もしかしたらサーフィンの影響なのかもしれません。