
2022/03/17
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――露木さんは、高校3年間を「世界一エコな学校」と呼ばれるインドネシア・バリのグリーンスクールで学んでいます。
帰国後には慶應義塾大学に入学するも、1年次に休学を決めて、気候変動問題について伝えるための講演活動を続けています。
講演した数はどのくらいにまで増えたのですか?
2021年だけで150校を超えました。講演先は小学校から大学まで、幅広く。
「環境活動家」という肩書きも、自分からそう名乗ろうと決めました。

私の講演活動のビジョンは「環境活動家がいなくなること」。
大学は私を待ってくれるけれど、気候変動は待ってくれない。そんな危機感から休学を決めて講演活動を始めました。
できるだけ多くの次世代に、できるだけ早くこの問題を知ってほしいから、学校の校長先生がすぐに検討可能な資料も私のホームページで公開しています。
今の私の活動の8割は講演活動で、2022年も続けていくつもりです。
あと、肌の弱い妹のために天然素材で口紅を作ることから始めたオリジナルコスメの開発も広げていく予定です。
――1年半以上続けてきた今、手応えや希望を感じられることはありますか?
ほぼ毎回新しい学校を訪問して同じ話をするので、反応はあまり変わらないですね。
ただ、この1年で「SDGs」という言葉が浸透して、理解されやすくなったという印象はあります。

あと、「自分でできるちょっとした行動から始めてみました」という声が聞こえてくることもあって、希望は感じています。
複数回呼んでいただいている逗子市立久木小学校では、子どもたちから「給食で出る牛乳を、プラスチックストローを使わずに飲んでみよう!」といったアイデアが生まれたとも聞いて、嬉しくなりました。
――今は大学を休学して講演活動に専念されていますが、今後はどんなプランを? たとえば3年後、5年後には何をしていたいですか?
これと決めている目標はないですね。
やりたいことややるべきことは、目の前の課題に応じてその時々で変わってくるし、手段もいろいろあるので。
今は講演という手段で気候変動問題を発信することに集中していますが、もっと効率的で自分自身も楽しめる方法が見つかったら、いつでも変えていいと思っています。

――気候変動の問題に正面から向き合い、信念を持って前に進む露木さんを「日本のグレタ」と呼ぶ人もいます。
そんな露木さんの行動力やマインドがどのようにして育ったのか、じっくり聞いていきたいと思います。
「今の自分をつくった原体験」として、思い浮かぶものはありますか?
明確にあります。通った幼稚園の思い出です。私が通った幼稚園は、「トトロ幼稚舎」という自然体験や子どもの自主性を重んじるところだったんですね。
私が生まれ育った横浜の中華街から、車で30分くらい行った住宅街の中にある幼稚園で、小さい子どもでもいろんな体験をさせてもらえるところで、本当に楽しく通っていたのを覚えています。

たとえば、ランチを食べるために薪で火をおこしてお米を炊いたり、本物の包丁を使って野菜を切ったり。
森まで出かけて薬草を採ってきて、天ぷらにして食べたこともありました。
普段から自然の中を歩く活動が多くて、特にすごいのは「卒業遠足」の行事で、箱根八里30kmを1日かけて歩いたりするんです。
5歳・6歳の子どもでもできるんですよ。最後のほうは、寝ているのか歩いているのか分からないくらい疲れるんですけど(笑)、それもいい思い出で。

トトロ幼稚舎に通ったことで、「自然が好き」という私の基盤ができたと思っています。
――まさに今の活動につながっていますね。小学校以降の経験ではいかがですか?
小学4年生から5年生にかけて経験した“山村留学”です。
グリーンウッド自然体験教育センターというNPO法人が運営している「暮らしの学校 だいだらぼっち」で1年間、親元を離れて過ごしました。
長野県飯田市の南のほうにある山村で、深く自然に関わり、自然に学ぶ生活を送ったことは、私の人生観に強く影響したと思っています。
全国から集まった小学生と中学生が、大人たちのサポートを得ながら力を合わせて自給自足の共同生活を送り、地元の小学校に通うというプログラム。
同じグリーンウッドが運営している夏休み限定の山賊キャンプというのに参加した際に、山村留学についてスタッフから聞いたことがきっかけです。
――山村で過ごした1年間では、どんな生活をしていたのですか?
敷地内には無農薬栽培をしている畑や、村の人が貸してくれている田んぼがあって、自分たちで種を植えたり、耕したり。1日3回の食事も自分たちで作って、入浴は五右衛門風呂。
食事で使うお箸やお皿も、自分たちで木を割ったり、土をこねて焼いて作るのが原則という、かなり本格的なものなんです。
幼稚園で好きになった自然に対して、もっと深く関わって四季を通じて生活を送ったことで、「人は自然の恵みがなければ生きていけないんだ」と、頭ではなく体で分かった1年でした。

都会で生活すれば自然に依存しないというものではなく、電気も石油も元をたどれば自然という資源から生まれたもの。
お金があればなんでも買えるから、それが見えづらくなってしまうけれど、どんなに科学が発達しても、私たちは自然環境なしでは暮らせない。
その事実を10〜11歳の感受性豊かな時期に理解できたのは、とてもいい経験だったと思います。
(カバーデザイン:仲尾香織)