
資金ショートをくぐり抜けた、火事場のファイナンス戦略
聞き手/佐々木紀彦 撮影/林 直幸
起死回生のコンバーティブルノート
――前回は創業から3年半の苦闘を振り返ってもらいましたが、当初調達した1億円の資金で足りたんですか?
いえ、足りませんでした。
最初にメーカーから3000台のカメラを買った時点で5000万円が無くなりました。しかも毎月キャッシュが500万〜1000万円出て行ってしまう。でも今の状態では増資も難しいという状況でした。
「何か他の資金調達の方法がないか」と、AZXという弁護士事務所に相談して、行き着いたのがコンバーティブルノート(新株予約権付転換社債)でした。それをどうにかオリックスに引き受けてもらったんです。
――シリコンバレーではバリュエーション(企業価値)を決めにくいシード段階のスタートアップに対して、エンジェル投資家やVCなどがコンバーティブルノートを発行することは一般的です。しかし、当時の日本では前例がほぼなかったのではないですか?
その通りです。
本には紹介されていて、VCの人は多少使っていたかもしれませんが、日本で知っている人はほとんどいませんでした。おそらく大企業がコンバーティブルノートを引き受けた例はひとつもなかったはずです。しかもバリュエーションキャップがない契約を提示したんです。
――それは大胆ですね。コンバーティブルノートは、次の資金調達ラウンドで株式に転換することになります。その際に転換時の企業価値が大きくなりすぎないように、投資家としては転換価格の上限(バリュエーションキャップ)を定めることが通例です。そうでないと、投資先のスタートアップが急成長した時に、転換される株式数が少なくなってしまいます。交渉力がない中で、よくそんな強気な提案ができましたね。
案の定、オリックスに持って行ったら「なんだそれ?しかもバリュエーションキャップがないの?」という反応だったのですが、「部長決裁の金額内だったら良い」と受け入れてくれたんです。

そこで調子に乗って、そのまま三井住友銀行にも提案に行ったんですが、銀行は買えなかったので、最終的に銀行系のVCが引き受けてくれることになりました。
ただ、それでもお金が足りなかったので、十時さんのところにもコンバーティブルノートを買ってもらって、その信用力をベースに政策金融公庫から融資を引き出しました。さらにみずほ銀行からも融資を受けて、どうにか切り抜けました。
本当に自転車操業ですよ。最初の4年ぐらいは、営業もやっていましたが、そういう資金繰り関連のことばかりやっていましたね。
――当時借り入れするときは個人保証が必要だったんですか?
基本はそうでした。しかし、政策が変わりつつあって、政策金融公庫の融資では個人保証が外せるようになっていましたね。
ケチケチ経営の原点
――セーフィーのファイナンス戦略の特徴として、VC依存度が低く、大企業からの調達が多いですが、創業初期から大企業との関係が深かったんですね。
そうですね。常にお金が切れるという瀬戸際の中で助けてもらいました。私以外の創業メンバーは森本も下崎もエンジニアなので、お金周りは詳しくありません。6000万円しか銀行口座にないのに、なんの悪気もなく、5000万円分のルーターの発注をしてしまったりしていましたから(笑)。

――コメディーみたいな話です(笑)。
その後、どうにか資金をつないだ後にCFOも入ってくれて、2017年にシリーズAで9.7億円を調達できたんです。オリックス、関西電力、キヤノングループ、NECのCVC、ティーガイアなどが出資してくれました。
――創業から4年はお金に相当苦労したんですね。
当時の記憶があるので、ケチケチ経営が染みつきました。今の五反田オフィスもかなり家賃は低いですし、SaaSビジネスをやっているのに、上場前に黒字化していました。
――シリーズAでは出資してくれた大企業と資本業務提携も結び、事業面でも関係を深めています。
オリックスグループは、コンバーティブルノートを引き受けてくれたときあたりから、フルコミットしてくれるようになりました。関西国際空港や伊丹空港にカメラを置こうとか、大京アステージのカメラとして使っていただくなど、一緒に新規顧客を開拓してくれたんです。
キヤノングループも、ちょうど同社の事業の中でクラウドのところがミッシングピースだったので、「一緒にやろう」と言ってくれて、我々のサービスをOEM提供することになりました。
こうした名だたる大企業と組めたことによって、「セーフィーのサービスは信頼できそうだ」という認識が少しずつ浸透していきました。
いいパートナーと組めて、新しい商流や商売が開けていったことで、我々はいいプロダクトをつくって売り込むことに集中できるようになったんです。