
創業3年半の苦闘。売れば売るほど赤字のスパイラル
聞き手/佐々木紀彦 撮影/林 直幸
コンセプトは「賢くなるカメラ」
――まさに不退転の覚悟で起業したわけですが、当初からうまくいったのですか?
最初の3年半は、鳴かず飛ばずでした。
――そもそも、映像プラットフォーム事業を思いついたきっかけは何だったんですか?
私が出向していたモーションポートレートは、顔認識の映像や画像からデータを自動抽出していくアルゴリズムを外販する会社でした。人の顔や目やまつ毛の位置が高精細にきっちり1枚の写真からとれるアルゴリズムをつくっていました。
この会社はソニーの木原研究所が母体ですが、とてつもなく優秀なコンピューターサイエンスの天才が集まっていたんです。

ただその一方で、「このままだとライセンス外販をする部品屋で終わってしまって、スケールするビジネスにならない」という危機意識がありました。そこで、「この人たちの知見や技術を生かした新ビジネスを立ち上げないといけない」と思っていたんです。
社内でも新規事業コンテンツをして、アイデアを出している中で、僕がたまたま思いついたのが「クラウド直結の賢くなるカメラサービス」というコンセプトでした。アクションカメラをワイヤレスでつないで、AIを活用してソフトウェアにデータを与えていけば、勝手にカメラが賢くなっていくと考えたんです。
当時、防犯カメラの世界は、使い古された枯れた技術の結合体なので、みんなが「技術的な価値がない」と思っていました。
しかし、僕からすると、データプラットフォームとしてこんなにすごいものはない。防犯カメラの動画からリアルタイムでデータを抽出していけば、圧倒的なデータプラットフォームになると考えたんです。
そこで、たまたま会社で後ろの席に座っていたコンピューターサイエンスに強い下崎守朗、プロダクト開発に強い森本数馬に声をかけて、インターネットドリブンなアクションカメラを作り始めました。
このプロジェクトを、ソニーの社内で進めると承認に時間がかかりそうなので、アンバレラというチップベンダーに直接電話して、「僕らはこういうカメラが作りたいから、一緒に作れるメーカーをチップベンダー目線で紹介してほしい」とお願いしたんです。
――ソニーの中でやらなかったのは、時間軸だけが理由ですか?
オープンなプラットフォームにしたいという理由もありました。
もし自分たちが「キヤノンと組みたい」となった時に、課長に決裁を取るだけでは進められませんから、社内の承認プロセスが延々と続いてしまいます。そうすると、このサービスはスピードで他社に負けてしまう。であれば、合理的に考えて、社外に出てやった方が早いということになったんです。
――家族や他のメンバーはすぐに賛成してくれたんですか?
私の妻の実家も商売をやっている家系なので、「もう勝手にやれば」という反応です。
上司との話し合いの中で、僕が「下崎と森本も辞めます」と言ってしまったので、2人は辞めて私と一緒にやらざるを得なくなったという感じですね(笑)。
BtoBへ舵を切ったものの……
――その後、実際の立ち上げでは何が一番大変だったんですか?
最初に3000台のカメラをエルモさんというメーカーに作ってもらったんですが、発表会の前日にでき上がってきて、家で使ってみたらWi-Fiにつながりにくい。そもそもWi-Fiしかインターフェースがないデバイスなのに、壁の向こう側に行ったら、ブチブチ切れてしまうんです。
――どう解決したんですか?
当初はカメラが売れるたびに、Wi-Fiがつながるように、現地までLANケーブルやルーターを持ってサポートに出向いて行きました。
そうした泥臭い作業を何カ月も続けて1000台くらい売れてきたときに、アンテナを改良したら、すごくつながるようになったんです。実は、メーカー側もワイヤレスのハードウェアの設計が初めてだったので試行錯誤を一緒にやっていました。
――その後は順調に成長したんですか?
その後、カメラとLTEのルーターを一緒にして、Safie GO(セーフィー ゴー)、Safie Pocket(セーフィー ポケット)という製品を開発しました。これは今でこそ一番の売れ筋になっていますが、最初のうち3年半はどちらもあまり売れず、売れても赤字になることもありました。

主な利用先は建設現場なのですが、初号機が民生品を使ったものだったので、真夏の暑さに耐えられずに壊れてしまうこともあったんです。それを無料で修理していたので、売れば売るほど赤字が増えるという構造でした。
そんな中、BtoCからBtoBへ舵を切ったのですが、当初はB2Bビジネスの素人なのでさっぱりうまくいきませんでした。
B2Bでカメラを売ると工事をしないといけないのですが、工事会社を知らない。工事会社を見つけて発注しても、見積もりはしてくれるんですが、実際に工事はしてくれない。
工事会社にとって、我々のような小さい会社の案件は割に合わないんです。大手インフラ事業者の下請けをすれば、毎日仕事が安定的に来るわけなので、そちらの方がいいですよね。
そんな感じで、3年半くらいは、自分たちで脚立を持ってきて工事をしていました。ただ、あるときに、工事会社の部長の人が突然、「そんなに大変だったら、僕がセーフィーに行きましょうか?」と言ってくれて、入社してくれたんです。
――3年半もよく耐えましたね。
3年半ほとんどそういう泥臭い仕事ばかりでしたね。