
培養肉のルール整備、その必要性
構成/田嶋嶺子 撮影/武田 雲
日本のブランド力維持にルール作りが必要
ルールという言葉は日本では評判が悪い。学校の校則から始まって、ビジネス社会にも暗黙のルールがある。私たちを型にはめる「面倒なもの」というイメージがある。
そんななか、私は培養肉に関する社会的ルールを形成する活動をしている。なぜならルールとは勝手に決められるものではなく、自分たちから作りにいくものだ、と考えているからだ。実はルール作りほど、クリエイティブな仕事はない、とも思う。
ここから数話に分けて、私がなぜ「ルール作り」に取り組んでいるのかを話したい。
私が培養肉のルール形成を推進している理由はいくつかある。
最も大切な理由は、世界の食領域における日本のブランド力を維持するためだ。
日本の食は、無形文化遺産に指定されており、和牛などは特に世界中で人気だ。畜産農家の方たちが頑張って、和牛の価値を上げてきたからだろう。

一方、これから細胞農業が盛んになるにつれ、日本の牛の細胞が保護されないまま、海外で和牛の細胞を使った培養肉が、勝手に売られてしまう可能性も出てくる。日本には現在、家畜遺伝資源に係る不正競争の防止に関する法律があるが、細胞農業を前提とした細胞保護の仕組みはまだない。
培養肉関連の公正競争規約に関するルール整備も必要で、「◯◯和牛」と名のついた培養肉が、日本に利益が還元されない形で売られてしまえば、せっかく畜産業界が築き上げてきたブランドが丸々利用されてしまう。
だからと言って、培養肉に「和牛細胞使用」等の情報の記載を許さなければ、世界の培養肉事業者にとって、日本の畜産業と協力する魅力が減り、細胞農業という成長市場での事業機会を損ねる可能性がある。
なぜ今、ルール形成を行う必要があるかという理由は、この点にあるのだ。
つまり、日本が率先して国内ルールを整備し、それを海外に発信することで、世界の産業に貢献しつつ、日本に不利な国際市場が形成されることを防ぐことができる。国内の産業を守っていくために欠かせないステップとも言えよう。
ルールを「作る側」に人・モノ・金が集まる
細胞農業に関するルール形成には、他にもメリットがいくつかある。
1つは、他国でも採用されるような良質なルールを早く制定することによって、日本の企業がグローバル市場で活躍しやすい土壌を作れる、ということだ。
これはブロックチェーン業界にいた頃にも強く実感したことだが、新興産業で優位に立つにはルールを「守る」側ではなく「作る」側に回ることが重要だ。そのほうが、ビジネスの見通しを立てやすくなるからだ。
他国よりも早くかつ良質なルールを制定することで、日本企業の成長を促すだけでなく、新しいルールが整備された日本でビジネスをしたいと思う海外企業が増える。研究拠点や開発拠点を日本に置く企業が出てくるだろう。
「ルール」があるところには、人・モノ・お金・情報が多く、そして早く集まってくるのだ。また良質なルールは他国のルールの手本となり普及する。国内ルールの拡散により、日本企業は海外で今まで以上にビジネスしやすくなるだろう。
また、細胞農業のノウハウが日本に蓄積されるので、日本発の技術やサービスの開発が進むだろう。日本市場が先行者優位を獲得するためにも、素早いルール整備が不可欠だ。
食料自給率を向上させる手段に
ルール形成は食料安全保障を確保するためにも必要といえる。
身近な課題を挙げると、飼料・食料自給率を向上させることだ。近年は「経済安全保障」が注目され、2021年には国政史上初めて経済安全保障担当大臣のポストが設けられたことも話題になった。食料安全保障も、この経済安全保障の一部と言えるだろう。
自民党によると、経済安全保障のためには「戦略的自律性の確保」と「戦略的不可欠性の維持・強化・獲得」を進めていくことが必要とされている。
細胞農業を産業として振興させ、培養肉の流通量を増やすことで食料自給率を向上させる、という一連の流れは、上記の方向性ともマッチする。
加えて、2020年以降はコロナウイルスの流行もあってグローバルサプライチェーンの断絶が大きなリスクとして可視化された。災害や感染病などの非常事態において、食料を確保することも国家の使命である。
シンガポールは法的整備が進んでいる
次に、世界を見渡して国際的な現状を確認したいと思う。
現在最も法的な整備が進んでいるのはシンガポールだ。世界で唯一、培養肉に販売許可が下りている。
すでに飲食店やデリバリーを通じて、一般の人々が従来の肉と同じように培養肉で作られた料理を楽しんでいる。高級ホテルのマリオット系列でも培養チキンが提供されており、今後もますます普及していくだろう。
国内で畜産業が盛んでないというのも、国として培養肉に力を入れている大きな理由だ。細胞農業を活用することで、自給率向上と肉食文化の発展を同時に実行できる。
シンガポールに続いて積極的な国で特筆すべきはイスラエルである。こちらも産業構造や非常時における食料リスクを背景に、細胞農業が推進されている。
ネタニヤフ元首相が培養肉を試食し、「普通の肉と変わらない」とコメントしたこともインパクトは大きい。
また、アメリカでも現在はロビイング活動が進んでいるとされ、早ければ2022年中に、販売の承認が下りるのではないかという見通しだ。
このように、世界では政治家・行政が中心となって細胞農業を活発に後押ししている国もある。
もちろん、産業を引っ張っていくのは細胞農業をビジネスとして開発、展開する事業者と投資家が必要だが、政治が果たす役割も大きいのである。
国際的に培養肉を産業として後押しする風が吹いている中で、日本はどう動いていけば良いだろうか?
次回はこれまでに日本が経験してきた失敗や見習うべきルールメイキングの具体例を見ながら、細胞農業に必要なルール形成の方向性を見ていきたい。