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【資本主義の「次」はあるのか】全ての価値が貨幣に還元される社会の生きづらさ/共産主義・加速主義の限界/社会のバグになれ
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2026年5月17日

あらゆる価値が貨幣に還元される現代社会で私たちは何を失っているのか。資本主義の「次」はあるのか。お金に換金されない価値について、ゲンロン創業者の東浩紀氏と、COTEN歴史調査チームの品川皓亮氏が語った。 <ゲスト> 東 浩紀|哲学者/ゲンロン創業者 1971年東京生まれ。東京大学大学院博士課程修了...
脱貨幣社会へ:日本発の「非合理性」が切り拓くビジネスの未来
現代社会は、あらゆる価値が貨幣に換算され、お金という唯一の尺度に支配されつつある。このような状況は社会の画一化を進め、人々の間に息苦しさを生んでいるのではないだろうか。
本記事では、資本主義の「次」の姿を議論する。既存の「一神教的」な解決策としての共産主義や加速主義の限界を探りつつ、日本独自の多神教的な視点や、ビジネスにおける数値化されない「身体感覚」、さらには「非合理性」や「わがまま」といった人間本来の特性が、今後の社会やビジネスをいかに豊かにする可能性を秘めているかを論じる。

この対話を通して、20代から40代のビジネスパーソンが資本主義社会で主体性を取り戻し、より創造的に生きるためのヒントを得られるだろう。
Q. 資本主義の次に来る世界は存在するのか?
資本主義のオルタナティブを議論する際、「貨幣経済の次があるか」という問いに直面するが、その実態は想像が難しい。人間がお金を全く使わない交換社会を築く、あるいは共産主義が理想とするような「所有の廃止」といった概念は、現実の枠を超えている。過去の社会改革運動が提示したビジョンも、その想像しがたさゆえに多くの課題を抱えることになった。

例えば、ベーシックインカムは、思考実験としては興味深いが、具体的な導入を考えると現実的な壁に突き当たる。誰に、どのように配るのかという境界線を設定する段階で、国家間の格差や移民・難民問題に直結する。人類が未だ地球全体を「仲間」と捉えるに至っていない現状では、ユートピア論として片付けられるきらいがある。だからこそ、資本主義に「次はない」と考えるのが、むしろ健全な姿勢であり、その枠組みの中でいかに生きるかを模索すべきだろう。
Q. 共産主義や加速主義の思想にはどのような「一神教的」な限界があるのか?
共産主義と加速主義は、一見対立するように見えるが、本質的には似たような限界を抱える。共産主義は理性に基づいた計画的な分配によって全ての問題が解決すると考え、加速主義は技術の発展が自動的に良い未来をもたらすと信じる。
これらは共に、「ある一つの原理や神のような存在が、最終的に物事を良い方向に導いてくれる」という、きわめて「一神教的」な発想に根差す。アダム・スミスの「見えざる手」の概念も、この系譜にあると言えるだろう。このような西洋的なパラダイムの中だけで議論を進めると、堂々巡りに陥り、根本的な解決策は見えてこない。私たちは、この二項対立の構図そのものから、発想の転換を図る必要がある。
Q. あらゆるものが貨幣に換金される社会は、なぜ問題だと言えるのか?
現代社会が抱える最大の問題の一つは、あらゆる価値が貨幣に還元される傾向にあることだ。かつては名誉や尊敬、技術力、人脈、伝統といった、お金では測れない多様な価値が存在した。しかし今や、「アテンションエコノミー」に代表されるように、尊敬さえも金銭に換算されるような世界へと変貌を遂げた。この「お金という名の単一神」による価値の一元化が、社会全体の豊かさを奪い、生きづらさの根源となっている。

この問題に対抗する有効な手段は、「お金に換金されない基準」を増やし、それを社会の中で当たり前にすることである。「いくらお金を積まれても売らないもの」「どれほど誘われても動かない意思」といった、いわば非合理な「わがまま」を人々が持てる社会こそが豊かさを生む。人間の本質は元々複数の価値観の中で生きることであり、例えば、誰も自分の子どもを大金のために売らない。こうした根源的な「非合理性」を社会が肯定することで、貨幣という一つのモノサシに縛られない、多様性に満ちた世界を取り戻せるのではないだろうか。
Q. 日本の固有の思想や歴史的背景は、現代社会やビジネスにどのようなヒントをもたらすのか?
西洋の一神教的なパラダイムに行き詰まりを感じる今、日本独自の多神教的、アニミズム的な思想や、歴史の中で培われた商業観にこそ、新たな活路を見出せるかもしれない。例えば、近江商人の「三方よし」は、売り手と買い手だけでなく、社会全体との関係性を重視する多角的な価値観である。現代の経営者が数万人の社員を抱える大企業で「三方よし」を語るのは、この思想に時を超えた普遍性があるからに他ならない。
また、日本の資本主義は、欧米諸国の産業革命とは異なり、明治期の官製会社から始まり、官僚的な人事制度が土台にあるなど、その「出自」が全く異なる。この歴史的な経緯を正しく理解することで、成果主義や新自由主義といった西洋的な規範に縛られない、日本独自の経営や事業のあり方を探れるだろう。グローバルな世界経済において、各国が抱える歴史的、文化的な「限界」こそが多様性を生み出す源であり、自国の特性を積極的に活かすことで、資本主義の中に独自の「亜流」空間を創造できる可能性が日本にはある。
Q. なぜビジネスにおいて、数値だけではない「身体感覚」や「非合理性」が重要になるのか?
ビジネスにおける成功は、しばしば売上などの数値データで測られるが、真に優れたビジネスパーソンは、それだけではない「身体感覚」で物事を捉える。現場の空気感、顧客の表情、言葉のニュアンス、トークの盛り上がりといった、数値化できない微細な情報を肌で感じ取り、企画や経営の判断に活かす能力が求められる。これはアスリートや演奏家が身体を使って状況を把握し制御するのと同様の、暗黙知の世界である。

「今月は厳しい」という経営者の直感は、Excelの数字から導かれる合理的な予測とは異なる。それは長年の経験から培われた、会社全体の状況を身体で理解している状態だ。こうした身体感覚を磨かず、数値だけに振り回されていると、目の前の数字にとらわれ、本質を見誤る可能性が高まる。人間は本来、非効率的で不完全な存在であり、人生を完璧に効率化することなど不可能である。その「どうせできない」部分にこそ、その人独自の価値、すなわち「固有性」が存在するのだ。この非合理性を肯定し、ビジネスに落とし込むことが、数値に依存しすぎた現代社会において、人間らしさを取り戻し、真の豊かさを追求する道となるだろう。
Q. これからの時代、ビジネスパーソンは「バグ」になることを恐れてはいけないのか?
今の社会は画一的な方向へ傾き、バランスを欠いている。「わがままで訳の分からないこと」を追求する人々が少なくなり、誰もが「無難」や「普通」を選ぶ傾向が強まった。しかし、世の中を豊かにし、新しい道を切り拓くのは、そのような常識から逸脱した「バグ」のような存在である。
「言論カフェ」の例は、日本人が「話すより聞く」ことを好むという特性を逆手に取り、長時間トークイベントという「訳の分からない」ビジネスモデルで成功を収めた好例だ。現在の資本主義やマーケットは、一見非合理的と思える挑戦をも受け止めるだけの懐の深さを持っている。20代から40代のビジネスパーソンは、小さな抵抗でも良い。自分の中にある「これってどうなの?」という問いを大切にし、常識に囚われず、あえて「バグ」となることを恐れてはならない。
時間はかかっても、社会は確実に変わる。思想や哲学の役割は、安易な答えを出すことではなく、矛盾を内包しながらも希望を生み出し、人々が主体的に、そして「わがまま」に生きる力を与えることにある。既存の概念に真っ向からぶつかり、自分らしい価値を創造していくことで、ビジネスの枠を超えた社会変革へと繋がるだろう。