PIVOT TALK SPECIAL
【資本主義の中で「個人」はどう生きるか】なぜ時間・数字に追われるのか/スケール追求の落とし穴/正気を保ちながら生きる方法
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2026年5月16日

なぜ私たちは数字と成長に支配されているのか。資本主義の構造的欠陥と、その中で正気を保つための思考法について、ゲンロン創業者の東浩紀氏と、COTEN歴史調査チームの品川皓亮氏が議論した。 <ゲスト> 東 浩紀|哲学者/ゲンロン創業者 1971年東京生まれ。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。2...
「資本主義は不変の『生きる条件』」:巨大なシステムに囚われずに生きる処世術
資本主義の猛々しい渦中で、我々は日々駆り立てられながら生きている。経済的な豊かさを追求する社会の波に乗りつつも、「このままで良いのだろうか?」という漠然とした不安を抱える者も少なくないだろう。
果たして資本主義とは我々をどこへ誘うのか。そして、この巨大なシステムの中で個人はいかにして自らの生を全うするべきか。本記事では、哲学者・東浩紀氏と、元弁護士で株式会社COTENを共同創業した品川皓亮氏の対談から、資本主義の本質と、それに翻弄されずに生き抜くための処世術を考察する。
身近でありながらその全容が掴みづらい資本主義の正体に迫り、現代人が直面する課題への新たな視点を提供する。

Q. 我々が資本主義の本質を理解できないのはなぜか?
資本主義は、我々が生活を送る上で一瞬たりとも離れることのできない空気のような存在だ。テレビやYouTubeの視聴、日々の買い物など、あらゆることが資本主義と密接に結びついている。しかし、いざ「資本主義とは何か」と問われると、多くの人が答えに詰まる。
このように身近でありながらその構造が捉えにくい点が、資本主義の不可解さを生み出しているのだ。

この対談の出発点にあるのは、この巨大で身近でありながら捉えどころのないシステムを理解し、個人としてそれにどう向き合うか、どのように「距離感を調整する」かという切実な問題意識である。品川氏の著書「資本主義と生きていく」がこのテーマを深く掘り下げるきっかけとなったのも、この本質的な問いが背景にあった。
Q. 現代社会が抱える「追われる」感覚の正体とは何か?
現代社会で多くの個人が抱える「時間に追われる」「数字に追われる」という感覚は、資本主義の特性と深く結びついている。
東氏は、資本主義を人間が言葉やお金といった仲介物をやり取りする中で、それらが一人歩きし、やがて作り手である人間を支配する現象がシステム化したものと捉える。これは、近代特有の現象ではなく、人間が他者と関わる上で古来から存在する普遍的な問題が、より精緻なシステムとして構築された「生きる条件」であると語る。本来、交換手段に過ぎなかった貨幣が目的化し、私たちの時間を規定し、日々の活動を数字で測ろうとする圧力が常にかかっているのだ。
そこから完全に脱出することは、ほぼ不可能と言ってよい。この見方に立つならば、資本主義を外部の脅威としてではなく、むしろ私たち自身の存在様式の一部として捉え直し、その中でいかにして自律を保つかという問いへと深化させることが重要となる。
Q. 資本主義社会における「スケール」追求の落とし穴とは?
資本主義は、私たちに「もっと稼げ」「もっと効率よく使え」と常に追い立てる。特に現代のビジネスにおいては、再生回数、売上、成長率といった「数字」を最大化し「スケール(規模拡大)」を追求することが至上命題となっている。この「スケール信仰」には大きな落とし穴があるのだ。
数字は多様な価値観を持つ人々が合意を形成しやすい指標であり、そのため企業組織は容易に数字目標に引きずられていく。しかし、数字を目標としてしまうと、いつの間にか本来の目的や内容がおろそかになり、その数値自体が自己目的化してしまう。これは「最悪の合意」であると東氏は指摘する。たとえ政策決定においてもエビデンスとしての数字は必要だが、それを唯一の目標にすると、誰を救うべきだったのか、何をしたかったのかという本質が忘れ去られてしまうだろう。組織は、数字を参照しつつも、決して目標にはしないというガバナンスの意識を文化として構築する必要があるのだ。
Q. 人文知は資本主義の中でいかなる役割を果たすのか?
SNSの普及により、誰もが数字や評価に囚われ「正気を失っている」現代において、人文知(哲学や文学など)は「正気を取り戻す」ための空間を作り出すという重要な役割を担う。戦争や労働がなくなることがないのと同様に、資本主義からも完全に逃れることはできないという前提に立てば、その内部でいかにして「違う渦」を作るかが課題となる。

反資本主義的な言説さえも容易に消費されるこの時代に、人文知の実践とは、システムの暴力に飲み込まれながらも、数字の論理ではない「美学」を貫き通す「アブク(泡)」のような空間を地道に作り続けることにほかならない。インターネット技術はスケール至上主義を加速させた一方で、広告費をかけずにニッチな「小さい商い」を成立させるインフラも提供した。東氏は、資本主義を「スケール」と同一視する思い込みを捨て、この新しい技術を異なる価値観のために利用する視点こそが、現代において必要であると強調する。
Q. 個人が「わがまま」を貫き、主体的に生きるためには何が必要か?
資本主義の数字至上主義に抗い、個人が自律性を保つ力の源泉は、普遍的な倫理や合理性ではなく、むしろ「わがまま」にこそあると東氏は語る。「たとえ1億円積まれてもこれはやらない」という、一見非合理な頑固なこだわりは、交換不可能な個人の存在を規定する「主体性」の証なのだ。
人文知は、ビジネスや成功といった「交換可能性の世界」で直接的に「役立つ」ものではないかもしれない。しかし、人生という「交換不可能な世界」を生きる上では不可欠なものである。ビジネスで挫折したり、人生の目的を見失ったりする「プランA」が破綻した時に、そのわがままなこだわりを肯定し、心を支える「プランB」となり得るのが哲学である。その存在を知っているだけでも、人生を豊かに生き抜く上での選択肢と心の余裕が生まれる。
自分の人生は自分だけのものだと強く意識し、自らの「わがまま」な主体性を堅持することが、資本主義社会を生きる個人にとっての灯台となる。
Q. 趣味を「仕事にしない」という現代の処世術とは?
現代社会は、個人の生活領域までもが資本主義に侵食され、あらゆる活動が仕事化・消費の対象となりがちである。かつて家庭や趣味が仕事とは別の「息抜き」の空間を提供していたが、SNSの登場により、趣味(例:推し活)さえも他者と繋がり、評価の目にさらされることで、仕事と同様の責任や人間関係、さらには経済的な評価の対象へと変貌してしまうのだ。

このような「プライベートの仕事化」が進む中で、個人の「正気」を保つためには、敢えて好きなものを「仕事にしない」という意識的な選択が必要だと東氏は説く。たとえそれが儲かる可能性があったとしても、そこに評価経済やビジネスの論理を持ち込まず、ただ自分だけが楽しむための「孤独な時間」を死守する。
漫画を読むことを評論にしない東氏の姿勢のように、誰にも評価されない純粋な息抜きの空間を持つことが、現代人が「わがまま」を保ち、主体的に生き抜くための重要な処世術となる。
Q. まとめと今後の展望
私たちは資本主義という避けがたい現実の中で生きている。しかし、その流れにただ身を任せるのではなく、意識的に「わがまま」な主体性を保ち、自らの「美学」を貫くことで、このシステムの「外部」とも呼べる空間を内部に創出することができる。それは、必ずしも社会的な成功や評価と結びつかないかもしれないが、揺るぎない心の自由と「正気」を確保するために不可欠なプロセスである。
次回の対談では、「資本主義の次はあるのか」というテーマに踏み込み、資本主義の未来、そしてお金に換金されない価値基準をいかに社会に多数生み出すかを探求する。それを通して、身体感覚を大切にし、我々が真に望む未来へと進むためのヒントが見えてくるはずだ。