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【辞めアクセンチュア】なぜコンサルから寿司職人に?
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2026年2月3日

なぜエリートの道を捨て、板場に立つことを選んだのか? 自分のものさしで人生を測る大切さとは。深澤宏樹氏に、寿司職人への転身した理由と、彼が描く新たなビジョンを聞いた。 <ゲスト> 深澤宏樹|寿司職人 <目次> 00:00 ダイジェスト 01:25 異色キャリアの原点とアクセンチュア時代 05:4...
異色のキャリア:アクセンチュアから寿司職人へ、年収3分の1でも「後悔はない」男の挑戦
日本のビジネス界で注目される異色のキャリアパスを歩む深澤氏は、新卒で大手コンサルティングファームのアクセンチュアに入社し、わずか数年で高い報酬を得る道を進んでいた。しかし、彼はその安定したキャリアを手放し、長年の夢だった寿司職人の世界へと飛び込んだ。
年収はかつての3分の1以下になったが、彼の表情には一片の後悔もない。慶應義塾大学を卒業後、ビジネスの最前線で活躍しながら、いかにして「第二の人生」として職人の道を選んだのか。
そして、そこにどのような未来を見据えているのか。深澤氏の類い稀なる挑戦の背景と、その熱い情熱に迫る。
Q. アクセンチュアではどのようなキャリアを築き、年収はどのように推移したのか?
大学卒業後、深澤氏は大手コンサルティングファームのアクセンチュアに入社した。入社の動機は、当時のゼミの教授がアクセンチュア出身であったこと、そしてコンサルタントという職種が将来的に「潰しが効く」、つまり多様なキャリアパスに繋がり得ると考えた戦略的な判断であった。入社後、深澤氏は実力主義の環境下で着実に実績を積み上げていった。

年収は入社1年目で600万円、2年目で700万円、3年目で800万円、そして4年目には800万円台後半へと順調に上昇した。この短期間での大幅な昇給は世間一般から見れば驚異的だが、彼自身はその「凄さ」を辞めてから知ったという。
同期の中には、深澤氏と同じ4年半でマネージャーに昇進し、年収1000万円に達した者もいた。コンサルティング業界の報酬水準の高さを改めて示すキャリアであったと言える。
Q. 高収入のコンサルタントを辞め、寿司職人を目指した動機は何だったのか?
深澤氏が寿司職人の道を志したのは、実は大学4年生の頃にまで遡る。当時はコンサルタントとして内定を得ていたため、すぐに夢を実現することはなかったが、胸の内にその想いを秘めていた。そして27歳の時、彼はその「最後のデッドライン」が来たと感じた。このままコンサルティングファームで手堅くパートナーを目指すか、ずっとやりたかった寿司職人を目指すか。この二択を前に、彼の心は後者へと強く傾いたのである。
この決断の根底には、大学時代のアルバイト経験が大きく影響している。彼は慶應大学在学中、ディズニーランドでジャングルクルーズのキャストを3年間務めた。「人に感動体験を提供する仕事」が自身にとって何よりも価値のある喜びであることを、この経験を通して強く実感した。
単に高収入を得ること以上に、人に喜びを与え、価値を創出することに自身の適性と情熱を見出していたのである。
Q. 大胆な決断に対し、周囲はどのように反応したのか?また、年収の大幅な変化への思いは?
安定した高収入のコンサルタントという職を捨て、寿司職人への転身という大胆な決断に対し、周囲の反応は様々であった。アクセンチュアの直属の上司は、彼の決断を「面白い」と肯定的に捉え、応援の言葉をかけたという。
両親は、その転身理由を尋ね、「なんで?」という心配の色を滲ませたが、明確な反対はしなかった。最も大きな支えとなったのは、現在の妻の存在である。
妻はリクルートを経てフリーのITコンサルタントとして働いており、深澤氏とは付き合う前から「将来的に寿司職人になりたい」という夢を共有していた。アクセンチュアの最終年には、週末に寿司学校の予備校に通う姿を見ていたため、彼女は転身を当然の選択として受け入れ、「いいんじゃない」と全面的に支持してくれた。

当然、年収はアクセンチュア時代の800万円台後半から、寿司職人となってからは300〜400万円と、およそ3分の1にまで激減した。しかし、深澤氏にとって金銭面での問題はそれほど大きくなかった。
彼は元々物欲が少ない方で、「最低限文化的な暮らしができれば良い」という価値観を持っている。また、寿司職人として朝から晩まで働く日々では、物理的に多額のお金を使う時間も少ない。このお金に対する執着のなさが、彼のキャリア選択を力強く後押ししたと言える。
Q. 寿司職人としての厳しい修行の中で、どのように技術を習得していったのか?また、己を磨くための自己投資に月10万円を費やす理由とは何か?
寿司職人の世界は厳しく、深澤氏も当初は思うように魚を捌く機会が与えられなかった。店で扱う魚には容易に触らせてもらえないため、彼は自主的に修行を積んだ。豊洲市場で自費で練習用の魚を買い込み、それを捌いては先輩職人に「これで問題ないか」「もっと直すべき点はあるか」と指導を仰ぐ日々を繰り返したのである。この地道な努力が、着実に技術習得の道を拓いた。
さらに、深澤氏は自身の成長のために惜しみない自己投資を続けている。毎月1〜2回、5万円以上するような名立たる高級寿司店へ「勉強のため」に足を運んでいる。師匠から紹介された店など、研鑽の場を広げるためだ。これには月10万円もの費用を充てているが、これを「寿司への投資」と捉えている。

大企業での安定したキャリアを捨てて飛び込んだ以上、「絶対に成功したい」という強い覚悟が、このような徹底した自己投資の原動力となっている。技術を磨き、常に一流の寿司に触れることで、自身が提供する寿司の質を向上させることを目指しているのだ。
Q. コンサルタントとしての経験は現在の寿司職人キャリアにどう活きると考えているのか?また、将来、深澤さんが寿司職人として目指す壮大なビジョンとは?
深澤氏は、アクセンチュアでのコンサルタント経験は将来的に大いに役立つと考えている。現時点では、日々の仕込みや握りといった現場の仕事が中心であり、コンサル経験が直接「潰しが効く」場面は少ないかもしれないと語る。しかし、彼の最終目標は寿司の海外展開にあるため、その際にはコンサル経験が「レバレッジを効かせる」強力な武器となると確信している。
具体的には、海外で寿司ビジネスを拡大するフェーズにおいて、市場分析、戦略立案、組織構築、事業計画といったコンサルタント時代に培ったビジネススキルが不可欠になるだろう。大学時代、サンフランシスコで目にした和食ブームや、現地のITレベルの高さを見て「ITはアメリカの文化であり、日本人がITで世界を目指すのは、アメリカ人が日本で寿司屋を開くようなもの」だと感じ、寿司での海外起業に勝機を見出した。
深澤氏の長期的な目標は明確である。世界的に成功している寿司レストラン「NOBU」をベンチマークとし、彼のように世界で通用する寿司職人、そして経営者になることだ。まずは誰にも負けない美味しい寿司を提供できる職人としての腕を磨き上げること。その上で、その腕を武器に海外で寿司を「どんどん出していく」という壮大なビジョンを描いている。「絶対になってやる」と彼はその熱い決意を語った。
Q. 大企業での安定したキャリアを捨てたことに後悔はないのか?また、キャリア選択に迷う人へ、深澤さんが伝えたいことは?
高収入で安定したコンサルタントとしてのキャリアを捨てたことについて、深澤氏に「後悔はないのか?」と尋ねると、彼は間髪入れずに「本当少しでも後悔は一度もない」と断言した。むしろ、この1年で生成AIの進化が目覚ましく、自身の旧来の業界(コンサルティング業界)の将来像に改めて疑問符を抱いた時、寿司職人の道を選んで本当に間違いなかったと感じている。彼のこの強い確信は、大学時代からの「やりたいこと」という一貫した情熱と、市場の客観的な分析に裏打ちされている。

キャリア選択に迷いを抱える人々に向けて、深澤氏は重要なメッセージを送っている。「常に自分の物差しで測る」ことだ。大企業から職人への転身は、周囲からすれば異質に見えるかもしれない。しかし、「自分自身が本当にそれをやりたいのかどうか」という内なる情熱、そして「市場としてそこに可能性があるのか」という客観的な視点を大切にすることで、周囲の雑音に惑わされることなく、自身の進むべき道を定めることができると彼は力強く語った。自分の価値観と市場を深く見つめ、情熱を持って選び取った道こそが、後悔のない豊かなキャリアへと繋がるという。