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【水沼宏太】なぜJ1王者は34歳で海外へ?キャリアの岐路で彼が信じた「ワクワクする道」
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2025年7月5日

天国と地獄を味わった男の、劇的な復活劇。横浜F・マリノスで栄光を掴み、34歳で海外へ。かつて「絶対に戻らない」と語った古巣への復帰、その裏にあった葛藤と決断とは。そして、彼がキャリアの岐路で常に信じてきた「ワクワクする道」の正体とは。挑戦を続けるフットボーラーの哲学に迫る。 <ゲスト> 水沼宏太|...
水沼宏太選手インタビュー:34歳で挑戦した海外、そして横浜FMでの優勝
2022年に横浜F・マリノスでJ1リーグ優勝を経験し、現在はオーストラリアのAリーグ・ニューカッスルジェッツでプレーする水沼宏太選手。17歳でJリーグデビューから現在までの軌跡と、34歳での初めての海外挑戦についてお話を伺いました。

Q. 初めてのJリーグデビューはどのような経験でしたか?
2007年、高校3年生の時に横浜F・マリノスでJリーグデビューしました。当時は高校生でプロの試合に出られるとは全く思っていませんでした。しかも父がマリノスのトップチームのコーチをしていた時期だったので、試合前に一緒にピッチでボールを蹴る経験は本当に特別なものでした。
当時はプロの試合に出るなんて夢のようで、気持ちは高ぶっていましたね。ただ実際にプレーする上では意外と緊張せず、82分という短い出場時間でしたが、シュートチャンスとアシストになりそうなチャンスがあり、試合に絡むことができました。

Q. プロデビュー後の挫折経験について教えてください
最初の2年半は本当に厳しい経験でした。高校時代には年代別の代表に選ばれ、Jリーグでもプレーしていたので、1年目はもちろん試合に出られるだろうという甘い考えを持っていました。しかし実際は年間10試合ほどしか出場できず、出場してもインパクトを残せませんでした。
期待されていたにも関わらず全く応えることができない状況で、技術レベルの違いを痛感しました。また自分自身のプレースタイルも定まっておらず、「これが自分の武器だ」という自信を持てるものがなかったことも大きな課題でした。
Q. 転機となった栃木SCへの移籍について
2010年にJ2の栃木SCに移籍し、初めてプロの試合に継続して出場できるようになりました。1年半でほぼ全試合に出場し、プロの試合に向けての準備やリカバリーの重要性など、高校では経験できなかったことを学びました。
栃木での経験がなければ、サガン鳥栖でのJ1での活躍にはつながらなかったと思います。サッカー選手としての基礎を固めるために本当に大切なクラブでした。
Q. プレースタイルの確立はどのようにして行われましたか?
サガン鳥栖時代に、自分のプレースタイルを確立することができました。当時は本格的にウイングというポジションを任され、フォワードには豊田陽平選手がいました。チームの攻撃スタイルはサイドからクロスを上げて豊田選手に合わせるというものだったので、クロスの精度を磨くことに集中しました。
ユン・ジョンファン監督からは「これを武器にしろ」と言われ、練習後も何本も何本もクロスを蹴り続けました。単に同じようなクロスではなく、様々な軌道やスピードで蹴れるようになることが大切だと教わりました。相手の位置やチームメイトの動き、スペースの空き方などを見て、適切なクロスを選ぶ判断力も身につきました。
Q. マリノスへの復帰を決めた理由は?
2010年7月にマリノスを出てから初めて、2020年にマリノスからオファーをもらいました。それまでは全く興味がなかったというか、「絶対こんなチームには戻らない」という気持ちを持っていた時期もありました。しかし2019年にマリノスが優勝した翌年、突然オファーがあり、「なぜこのタイミングで?」という疑問と同時に「認めてくれたのか」という嬉しさがありました。
セレッソ大阪でも大事にしてもらっていましたが、昔の自分とは違う、成長した自分ならマリノスのために貢献できるという自信があったので、戻ることを決めました。2019年に優勝したチームに加わり、ACLでも活躍したいという気持ちが強かったです。
Q. 2022年のJ1優勝の思い出は?
2022年は初めて開幕からスタメンで出場し、徐々に信頼を得て試合に出る機会が増えていきました。最終節の神戸戦では勝てば優勝という明確な状況で、全ゴールに絡むことができました。1点目はクロスが跳ね返ってからのゴール、2点目はフリーキックからのこぼれ球のゴール、3点目は右サイドから上げたクロスが決まりました。
特に最後のゴールは、相手を抜き出してクロスを上げる時に、ゴールを決めた遠藤選手の動きを予測できたことが大きかったです。普段の練習から彼の動きを理解していたからこそのアシストでした。
マリノスを離れてから戻り、チームを優勝に導くピッチに立てたことは何にも代えられない経験でした。試合終了のホイッスルが鳴る直前、ベンチで見ていた時には涙が出ました。父とは「本当に良かったね」と言葉を交わしただけでしたが、それだけで十分でした。
Q. 34歳でオーストラリアへの移籍を決断した理由は?

海外でプレーしたいという気持ちはずっとあり、具体的に考え始めたのは2022年にマリノスで優勝した後からです。ただ、年齢を理由に正式なオファーはなかなか来ませんでした。私自身は年齢に関係なく成長できると信じていましたが、クラブ側からすると年齢は考慮される要素です。
2024年1月、マリノスの新シーズン開幕直前に、突然ニューカッスルジェッツからオファーが来ました。それまで全く接触がなかったチームだったので驚きましたが、海外でプレーするチャンスと思い、すぐに「行きます」と答えました。行くと決めてから「ニューカッスルってどこだろう?」と調べるほど勢いがありました。
Q. オーストラリアでの生活はいかがですか?
ニューカッスルは本当に素晴らしい街です。ビーチと街が一体となっていて、家から車で5分もかからないところにビーチがあります。練習後に娘と一緒にビーチで砂遊びをしたり海で遊んだりする生活は最高です。炭鉱が盛んな町で、世界トップレベルの輸出量を誇り、常に大きな船が行き来しています。
またクラブ名の「ジェッツ」の由来でもある空軍の基地があり、ジェット機が頻繁に飛んでいるのも特徴的です。日本からはシドニーまで飛行機で行き、そこから車で2時間ほどの場所にあります。家族も住みやすさに満足しています。
Q. Jリーグとオーストラリアリーグの違いは?
一概に言うのは難しいですが、オーストラリアは若い選手たちの勢いがあります。最近ではU-20やU-23の代表チームが日本に勝っていますし、フル代表も勝っています。試合中も前に出ていく勢いや「さあ行け」という気持ちが強く感じられます。
日本には日本人らしい細かさがあり、オーストラリアには大胆さがあります。どちらにも良さがあって、それを楽しんでいます。アンジェ・ポステコグルー監督がマリノスで行っていたサッカーは世界的に見ても特殊なものでしたが、オーストラリアでは必ずしも主流ではありません。
Q. サッカー選手としてのキャリアにおいて大切にしていることは?

私の場合は「ワクワクする方向に進んでいく」ということを大切にしています。マリノスに復帰した時も、オーストラリアに移籍した時も、その選択に対して心が躍る感覚がありました。特に30歳でマリノスに戻った時は本当にワクワクしていて、そこで素晴らしい経験ができました。
サッカー選手のキャリアは一般社会でいう転職に近いものがあります。新しい環境に飛び込む不安はありますが、その先で成長できる可能性や新たな出会いを楽しみにしています。そして新しい環境では、自分がどんな人間か、何ができるかをしっかりと示すことが大切です。監督の求めることを完璧にこなすことはもちろん、「私はこれもできます」というアピールも積極的に行っています。
Q. 今後のキャリアについてはどのように考えていますか?
できるところまで、ボロボロになるまでサッカーをやり続けたいと思っています。やっと手に入れた海外でプレーする機会を最大限に活かし、全力を尽くしていきます。その先に何があるかは分かりませんが、きっと素晴らしい未来が待っていると信じています。
サッカー選手として、見てくれている人々に夢や希望、勇気を与えられる存在になりたいです。日本代表に再び選ばれることも目標の一つです。オーストラリアに行ってからも新たな成長を感じていますし、大好きなサッカーを突き詰めるだけ突き詰めて、やり続けていきたいと思います。