EXTREME SCIENCE
医療人類学で視点が180度変わる
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2024年10月25日

人類学者で東京科学大学教授の磯野真穂氏がゲスト。「科学」や「エビデンス」が重視される中、人・社会はどうあるべきか。コロナ禍の人類学フィールドワークから考える。 <ゲスト> 磯野真穂|医療人類学者 博士(文学)。東京科学大学(旧 東京工業大学)教授。 オレゴン州立大学大学院で修士号、早稲田大学大学院...
コロナ禍で見えた「医療化」する社会—医療人類学者・磯野真穂が示す新たな視点
人間の病気や健康をただの医学的事実ではなく、社会的・文化的文脈から捉える医療人類学。コロナ禍で様々な社会現象が起きた今こそ、この学問が持つ視点が重要だと語る磯野真穂氏に話を聞いた。

Q. 医療人類学とは何ですか?
医療人類学は1970年代頃から発展した文化人類学の一分野だ。もともと宗教人類学と呼ばれていた領域から独立し、現代医療を人類学の観点から考察する学問として確立された。
病気や健康を医学的な側面だけでなく、社会的・文化的文脈から捉え直すのが特徴だ。例えば、病気を以下のように細分化して考える:
1. 「疾病」: 生物学的に理解できる病気
2. 「病」: 個人の主観的な感じ方や対応の仕方を含む概念
3. 「社会化された病気」: 社会がどう病気を認識し対応するか
これらの視点から、科学的事実を「舞台の小道具」のように捉え直すことで、サイエンスと社会の関係性について新たな理解を提供する。
Q. コロナ禍の日本社会をどう分析しますか?
日本のコロナ対応には、科学的エビデンスだけでは説明できない現象が多く見られた。例えば、パーティションの設置は2021年夏には感染リスクを上げる可能性が指摘されていたにもかかわらず、2023年の5類移行まで続いた。
また、国によってワクチンへの態度と政治的立場の関連性が異なっていた。アメリカでは共和党支持者と民主党支持者でワクチン接種率に差が出たが、日本ではそうした政治的分断は別の形で現れた。
医療人類学の視点から見ると、ワクチン論争の背後には実は「ワクチン以外のこと」が語られていた。日本の場合、自粛政策の是非と結びついていたのだ。このように表面的なエビデンス論争の奥にある社会構造や価値観の対立を読み解くことが重要だ。
Q. 緊急事態宣言を「雨乞い」に例えたのはなぜですか?
緊急事態宣言には、人類学で研究される「雨乞い」の儀式と似た側面がある。雨乞いの興味深い点は、多くの場合、雨が降りそうな時期に行われることだ。現地の人々は自然の動向を理解しており、雨が降る可能性が高い時期に儀式を行う。
これによって自然のリズムと人間の精神的リズムが合致し、人間の行為が自然に影響を与えたという実感が得られる。緊急事態宣言も同様に、感染のピークで出せば、その後感染者数が減少するため「みんなの力で感染を抑え込んだ」という実感を社会に与える効果があった。
これは単なる非科学的な行為ではなく、社会の秩序や精神的安定を保つための重要な機能を持っている。現代社会でも、アスリートのルーティンや受験生の合格祈願など、似たような心理的メカニズムが様々な形で存在している。
Q. 介護施設「風はコスモス」の事例から何を学べますか?
鹿児島の介護施設「風はコスモス」の対応は、感染対策と入居者の生活の質のバランスを模索した好例だ。当初は徹底した感染対策を行ったが、それが高齢者の生活を壊す側面に気づき、次第に調整していった。
例えば、マスクをした人が近づくと「結核」と連想して怯える90歳以上の高齢者がいたり、耳の遠い方との会話ではマスク越しでは聞こえないため近距離での会話が必要だったりした。また、感染対策のために紙皿で食事を提供したところ、入居者が食べなくなり、通常の陶器の食器に戻したというエピソードもある。
この事例は、科学的なガイドラインを機械的に適用するのではなく、現場の状況に合わせて「ブリコラージュ的」に工夫することの重要性を示している。コロナ対策では、こうした現場での調整よりも一律の対応が強調されがちだった。
Q. 身体と社会の関係をどう見ていますか?
現代社会では、健康と病気の境界が曖昧になり、「リスク」という概念が医学に入り込んでいる。健康診断でリスク因子が指摘されると、自覚症状がなくても「病気予備軍」という認識が生まれ、自分の体の感じ方が変わる。
例えば2009年のメタボ健診開始後、それまで何とも思っていなかった中高年男性が「生活習慣病予備軍」というレッテルを貼られ、ダイエットに取り組むようになった。コロナ禍での「無症状だが治療に専念します」という表現も、このような医療化された社会の象徴だ。
また、痩せていることが美しいという価値観も文化的・歴史的に構築されたものだ。20世紀後半の工業化・都市化した社会で痩せた身体が理想化される一方、別の文化圏では太っていることが健康や富の象徴とされる。
理想の体型や健康観は医学的事実だけでなく、社会的価値観によって大きく影響される。最近の「スメハラ」問題も同様に、商業的な意図も含めた社会的構築物として捉えることができる。
Q. 人類学者として、フィールドワークの意義は何ですか?
人類学の強みは、実際にフィールドに出て様々な人々の生き方を観察し、その経験を通じて私たちの社会を相対化できる点にある。SNSでの議論と異なり、フィールドワークでは生身の人間と向き合うため、単純な正誤判断ではなく複雑さや多様性への理解が深まる。
例えば、コロナ禍の面会制限について、iPadでの面会だけでは捉えられない人間の複雑さがある。人間の死は一度きりの経験であり、その別れの機会を感染対策という名目で奪い続けることの問題を考える必要がある。
また、文化人類学は「対等」や「正しさ」を単純に判断せず、異なる文化や価値観を相対的に捉える。例えば、交代で話す「ターンテイキング」をしない文化や、お葬式をほとんど行わない民族の存在など、私たちの「当たり前」を揺さぶる知見を提供してくれる。
こうした視点は、ビジネスや社会問題の解決にも応用可能で、IT企業やメディアで人類学者の需要が高まっている。
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Q. どのような人が医療人類学に向いていますか?
「今いいと言われているやり方に違和感がある」という人に向いている学問だ。実際、磯野氏自身も元々は運動生理学を学んでいたが、人間の複雑さを数字や細分化された知識だけでは捉えきれないという違和感から人類学へと転向した。
例えば、アスリートの中には朝の占いを見ないようにしている人がいたり、特定のルーティンを守る人がいたりする。そういった人間の行動や心理を、単なる数値や医学的知見だけで理解するのは困難だ。
人類学は、人間を細分化せず全体として捉え、社会や文化との関わりの中で理解しようとする。現代社会の「医療化」が進む中で、数字や医学的言語だけでは語れない人間の暮らしや身体の感覚を取り戻す視点として、ますます重要になっていくだろう。