
2023年1月25日
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――倉貫さんが2011年に創業したソニックガーデンは、当時ほとんど聞かれなかった「月額定額・成果契約」のビジネスモデルや、「全員フルリモートワーク」の働き方でも注目を集めてきた会社です。起業を目指したのはいつですか?
「起業を目指す」という感覚を持ったことは、実は一度もないんですよ。結果として経営者になったのであって、経営者になるしかなかった、という感覚が正しいです。
もともと小学生の頃に遊びで始めたコンピュータがきっかけでプログラミングが好きになり、コードを書いている時間に幸せを感じるタイプでしたから。自分が起業するなんて、20代は想像もしていなかったですね。
――何が転機となったのでしょうか?
答えは明確で、35歳で社内ベンチャーを立ち上げた経験です。

では、なぜ社内ベンチャーを立ち上げたのかというと、やりたいことを突き詰めたかったからです。やりたいこととは、「アジャイル開発」の実践と普及です。
――今でこそ開発のスタンダードになりましたが、当時はまだ新しい概念だったんですよね。
そうですね。僕が大学院を出てSIer大手のTISに入社して最初に担当したのは、金融系の基幹システム開発の仕事でした。
社会に出てシステムエンジニアとしていざ働き始めてみると「あれ、なんか違うぞ」と学生時代に取り組んでいたソフトウェア開発とのギャップで強烈な違和感を抱いたんです。
本来、エンジニアが果たせる役割は、複雑な問題の本質を探って、よりシンプルな構造へ組み替えるというもの。
柔軟な課題解決能力を発揮できる素晴らしい仕事であるはずなのに、現実には「仕様書どおり」「期限どおり」に納品することが優先され、開発途中でよりよい仕様や効率的な手法を発見したとしても適用しにくい、いわゆるウォーターフォール型の非効率な世界が目の前に広がっていました。
人月という単位の大規模開発を受注して上流工程と人海戦術のマネジメントだけをして、プログラムを書くことは下請けに任せる「格下」の仕事だという考え方にはどうしても賛同できなかったんです。
プログラマである自分自身が生き残るためにもアジャイル開発を広めるしかないと考えるようになりました。「アジャイル開発」とは、はじめから完璧な納品を前提とせず、使いながら改善するサイクルを回す開発方式のことですね。
僕には、プログラミングは社会をよりよく変えるための価値ある仕事だし、ソフトウェアは工場生産のように画一的に作れるものではないという確信がありました。
――「仕事とはこういうものだ」という“常識”には流されなかったということですね。何かアクションは起こしたのですか?
入社1年目から異を唱え続けていましたが、なかなか社内の理解は得られず。「社内でダメなら、社外で打開策を学べる機会はないかな」と自分で調べて勉強会に参加するようになりました。
そんなある日、1冊の本に出会い、衝撃を受けました。当時出会った平鍋健児さん(現・永和システムマネジメント社長)に薦められた、ケント・ベックによる入門書『XP エクストリーム・プログラミング入門』(ピアソンエデュケーション)です。

――アジャイル開発に明るいエンジニアの間では「白本」と呼ばれるバイブルですね。
2000年に出版された当時の初版第1刷を読み込んでいるのが、僕の自慢です(笑)。
何が衝撃的だったかというと、ここにはソフトウェアは人が作るものであり、コードこそ活動の中心であるという考えが書かれてあって、「自分が書いたんじゃないか」と思うほど内容に深く共感できたんです。理想は間違っていないと、背中を押してくれた本でした。
エンジンがかかった僕は役員にプレゼンをして理解を得て、新たに立ち上がった研究開発部門のメンバーに入れてもらいました。
役員の中には、自分の手でコードを書いてお客さんの要望に応えていた経験があって「倉貫が言っていることは、創業期には普通にやっていたことだよな」と理解を示してくださる方もちらほらいたんです。言ってみるもんだな、と思いました。

そこでアジャイル開発を広げるために営業やマネジメントもやって15人規模までチームを育てたのですが、稼ぎ頭の金融系の部署にメンバーがごっそり抜かれるという憂き目に遭い……。会社組織にいる限り、「稼げる部門」でなければやりたい仕事は続けられないのだと学びました。
その後、ただ一人残ったメンバーの藤原君と、当時出始めだったフレームワーク「Ruby on Rails」を勉強しながら社内SNSを開発したところ、社員の3分の1が使うネットワークに発展、さらには全社展開まで。
元々は業務外で始めたプロジェクトだったのですが、ユーザーの声を聞いて改善を重ねるプロセスがまさにアジャイルそのもので、すごく楽しい経験でした。
ところが、再び人事異動により、手塩にかけて育てた藤原君も引き抜かれるという“事件”が。ショックでしたね。大事な部下一人、なぜ守ることができないのかと考えると、やはり「稼いでいないからだ」という結論に達しました。
そこで、ここまで開発をしてきた社内SNS「SKIP」を事業化して社外にも展開することに。企画書を作り、一人ひとり役員に説明して最後は社長にプレゼンして、「やってみなさい」と言ってもらえました。
当時はその制度もなかったのですが、社内ベンチャーカンパニー第1号として認められました。これが僕の「経営者キャリア」の始まりです。
――社内交渉のスキルとして学んだことはありますか?
あります。やりたい企画を実現するためには、社内で仲間になってくれる人を増やすことが重要ですよね。
仲間づくりのポイントは、「提案より相談」。「こんなことを実現したい」という理想が高いほど、つい「○○するべきです」と相手を説得にかかろうとしがちですが、“べき”という言葉は拒否反応を生む場合が多い。
また、「○○したいんです」という言い方も、個人的な希望として受け取られる可能性が高く、上司は「ビジネスなのに、お前の希望だけを聞くわけにはいかない」と返さざるを得なくなります。
おすすめは「これからはこういうプロダクトを作る事業が求められると思うのですが、どうしたらそれが実現できるのか、一緒に考えてくれませんか」と相談するアプローチ。すると、「一緒に考えてみようか」とアイディアをくれて、考えているうちに自分ごとのように応援する味方になってくれます。
僕も相談のアプローチで役員を一人ずつ味方につけ、トップのGOサインもいただけました。

ちなみにこの時、一つだけお願いした条件が「メンバーは公募制にすること」。盟友・藤原君を呼び戻し、今度は上司部下ではなく対等なビジネスパートナーとして仕事をする仲間になりました。今も副社長として一緒に働いてくれています。
※1月26日木曜公開の第2話に続く。
(カバー写真:Andrey Suslov/iStock)