
生き抜くために個人が取るべき「ロングテール戦略」
構成/三谷弘美
面倒な人付き合いはやめて、必要なサポートはお金を出して得る……タイパが優先されて中間共同体が崩壊すると、孤独に陥るリスクも高まる。「残酷な社会」で生き抜くための発想を、橘玲氏が語る。
――メディアの役割として、同じ興味を持った人のコミュニティをつくっていくことがあるかと思っているんですが、橘さんは、サンデルが理想とするコミュニタリアニズムは実現しえないと言っていますね。
サンデルが論じているコミュニタリアニズム(共同体主義)は、ネット上のコミュニティというよりも、教会や地域のつながりのようなリアルな中間共同体ですよね。

しかしリベラル化が進む社会では、誰もが「自分らしく」生きようとするのだから、こうしたベタな共同体はプライベートへの侵害以外のなにものでもなくなる。
日本でもPTAへの強制加入に異論が噴出していますが、これも中間共同体が解体していく過程です。
世俗性の高い日本
日本社会の特徴は、世界のなかで際立って世俗性が高いことです。「世界価値観調査」で「伝統を尊重するか」「世俗・合理性を大事にするか」という指標を見ると、日本はスウェーデンと並んで圧倒的に世俗的価値観が高い国になっています。

一神教に関心がなく、結婚式はキリスト教、葬式は仏教、受験の前は神社でお参りするのが当たり前というのは、欧米人から見ると腰を抜かすような習慣ですが、そのときどきで都合のいいものを選んでいるわけです。
ただし、北欧は世俗的価値も自己表現価値(生存と自己表現とどちらに重きを置いているかの指標)もどちらも高いのですが、日本人は自己表現価値はそれほど高くない。これは、自分を表現して目立つと叩かれるという同調圧力の影響ではないかと思います。
世俗的な価値観が強いと、共同体の縛りがないから、田舎を捨ててどんどん都会に出てくる。
あまり指摘されませんが、アジアでは日本にしかAV女優はいません。東南アジアなどでは風俗産業が盛んな国もありますが、それでもAVはつくられていません。
ところが日本では、人気AV女優が若い女性から芸能人(セレブ)のような扱いを受けている。これなどは、日本人の世俗性をよく表わしていると思います。
――しかし日本は、「こう振舞わなくちゃ」という縛りも強いですよね。
日本人を縛っているのは同調圧力だけです。
戦前は軍隊や地域社会が、戦後は男は会社、女はママ友社会というコミュニティがあり、そこに所属すると自由を制約される一方で、困ったときには助けてもらえた。
それがだんだん崩れてきたことで、誰もが一人で人生を「自分らしく」生きていかなくてはならなくなった。
こうして、「自己責任」を唱える新自由主義(ネオリベ)への納得感が高くなっていきます。
日本のリベラルには「ネオリベが日本社会を壊した」という陰謀論を唱える人が多いですが、これは因果関係が逆で、リベラル化によって中間共同体が壊れ、ネオリベの主張が受け入れられるようになったわけです。
日本だけでなく、世界的に中間共同体は消えつつあります。かつての社会改革運動には団体とリーダーがいましたが、アメリカのブラック・ライブス・マターにしても、フランスのジレジョーヌ(黄色ベスト)デモにしても、SNSで情報交換しながら何千人、何万人という規模の街頭行動を行なっていますが、その主体となる団体があるわけではない。

フランスのマクロン大統領が、ジレジョーヌの代表者と話し合おうとしても、そもそも代表者がいなかったというのは象徴的です。
人と人とのつながりは愛情や友情の源泉ですが、それを維持するには多くの時間資源を割かなくてはならない。タイパが優先される社会では、小さな愛情空間を確保したら、それ以外のことはすべて貨幣空間にアウトソースするようになっていくでしょう。
昔は近所の人たちと助けあって子育てしていましたが、いまではそれ自体がリスクになって、塾やスポーツ教室のような金銭契約に変わっています。
こうした風潮を嫌う人もいますが、これもグローバル資本主義の陰謀ではなく、みんながそれを望んでいるから、需要を満たすためのサービスが生まれるだけのことです。
――自由を得る代わりに、孤独に陥るリスクは高くなりましたよね。生き抜くにはどうしたらいいでしょうか。
安倍元首相を銃撃した容疑者が典型だと思いますが、人間関係が愛情空間と貨幣空間だけになり、なんらかの理由で愛情空間が崩壊してしまうと、誰ともつながらない絶対的な孤独に陥ってしまう。
日本でも孤独・孤立対策担当大臣のポストが設置されましたが、政府や行政が個人のつながりをつくることはできない。国家が男女のマッチング(お見合い結婚)を強制しようとしたら、カルト宗教の合同結婚式になってしまいます。

そうなると、厳しい言い方かもしれませんが、自分と家族が生き延びられるように一人ひとりがなんとかするしかない。もちろん、すべての人が成功できるなどということはありません。私はこれを「残酷な世界」と呼んでいます。
かつては正規分布(ベルカーブ)の高い山(平均)から少し右側にいればなんとかなりましたが、社会がロングテール化してくると、テールの端にいるごく一部の者以外は有象無象のショートヘッドになってしまう。
テールの端では「とてつもないこと」が起きますから、イーロン・マスクの個人資産がトヨタの時価総額に匹敵するなどという、ちょっと前までは想像すらできなかったことが現実になる。
そうなると「自分もロングテールの端に行かなければ」と思うかもしれませんが、これは「敗者のゲーム」です。テールの端できらきらと輝く人の背後には、死屍累々の山が隠されているわけですから。
そこで私が提案したのが、より小さなジャンルでテールの端を狙うという戦略です。
ポピュラーミュージックが典型ですが、テクノ、ラップ、ヘヴィメタルなどの様々なサブジャンルに分かれていて、それぞれがロングテールの構造になっている。ニッチでどれほど小さくても、ファンがつけば自分の居場所を確保することができます。

これは10年以上前に『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』(幻冬舎文庫)で書いたのですが、同じことを今の若い世代は「推し」と呼んでいるんじゃないかと思います。
マスで成功するには大谷翔平や藤井聡太のような際立った才能が必要ですが、ホストや地下アイドルの「推し」になることならできるかもしれない。『成功するなら、誰かの推しになれ』(越前リョーマ著・光文社)という本は人気ホストが著者ですが、こうした状況をうまく表現したタイトルですよね。

――サブジャンルのサブジャンルで「推し」になることを目指す発想は、ビジネスでも生きるかもしれません。ありがとうございました。