
2022/09/26
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――安倍元首相が殺害された事件で、山上徹也容疑者は、映画『ジョーカー』に感情移入しており、橘さんの寄稿記事、【映画『ジョーカー』が描いた「下級国民の反乱」】をリツイートしていました。橘さんは、著書の中でリベラル化された高度知識社会で、生きづらい人が増えていることを指摘しています。そのことと銃撃事件はどう関連しますか。

映画『ジョーカー』が描いたのは、新自由主義やグローバリズム、エリート社会への批判ではなく、自分たちはアメリカ社会のマジョリティだったはずなのに、いつの間にか最底辺に落ちてしまったと感じている白人労働者階級の名状しがたい絶望です。
主人公のアーサーは中年の白人で、売れない喜劇役者として認知症の母親と2人で暮らしています。そんな彼がサブカルチャーの究極のダークヒーローである「ジョーカー」へと変貌していく姿には大きなインパクトがあり、日本でも2021年10月、ハロウィーンの夜に京王線で乗客を刃物で刺し火を放った24歳の男がジョーカーの仮装をしていました。

山上容疑者も公開直後にこの映画を観て、〈ジョーカーという真摯な絶望を汚す奴は許さない。〉と自分のツイッターにコメントするなど、自らの境遇とジョーカー(アーサー)を重ね合わせていたことは明らかです。
2022年7月に死刑が執行された「秋葉原無差別殺傷事件」の犯人、加藤智大も孤独な派遣社員でしたが、それでも親身に相談にのってくれる故郷の友人や年上の女性がいました。
ところが山上容疑者には、自衛隊を辞めてから京都の倉庫での仕事に至るまでの生活について、誰一人証言する者がいない。人間はここまで孤独になれるのか、と衝撃を受けました。
――『ジョーカー』の主人公と、孤独という点で共通しているのですね。
はい。『ジョーカー』で主人公のアーサーは、「自分はまるで存在していないかのようだ」と繰り返しセラピストに訴えます。
山上容疑者の人生も、まさに「存在していない」かのようです。
社会からも性愛からも排除された絶対的な孤独のなかで、なぜ自分の人生はこんなことになったのかと考え続けるうちに、実家を破産させた宗教団体と、その教団とかかわりがあった(とされる)この国で最も有名な政治家が、絶対的な「悪」として立ち上がってきたのではないでしょうか。
その意味では、1976年の映画『タクシードライバー』にも似ています。

――なぜ、生きづらさを感じる人が増えるのでしょうか。
あらゆる統計から、私たちが生きている現代社会は、人類史上最も豊かで、安全で、恵まれていることは間違いありません。それにもかかわらず「生きづらさ」を感じる人が増えている理由のひとつを、私は「リベラル化」だと考えています。
ここでいうリベラルは政治イデオロギーのことではなく、「自分らしく生きる」「自分の人生は自分で選択する」という価値観のことです。
そんなこと当たり前だと思うかもしれませんが、「自分らしく生きたい」というのは、歴史的には奇妙奇天烈な信念です。ソクラテス、仏陀、孔子など、過去の思想家のなかでそんなことを言っている人は誰もいない。
17世紀、18世紀のヨーロッパにおける啓蒙主義にその兆しをみることはできるでしょうが、「自由」や「自分らしさ」が人生でもっとも重要な価値になったのは1960年代後半のアメリカ西海岸で興ったカウンターカルチャー(ヒッピームーヴメント)です。

セックス・ドラッグ・ロックンロールとともに「愛」と「自由」がまたたくまに世界中の若者を虜にして、エピデミックのように広がっていった。あまり言われませんが、これはキリスト教やイスラームの成立に匹敵する人類史的な出来事だと思います。
「私は自由に生きるけれど、あなたにはその権利がない」というなら、それは身分制・奴隷制です。私が自由に生きるなら、すべての人にその権利を認めなくてはならない。
この自由の相互性がリベラリズムの基礎で、人種、性別、性的指向など自分では変えることのできない属性で差別することは、世界でも日本でもものすごく嫌われるようになりました。
――確かに、私もリベラルな視点でメディアを運営したいと思っていますし、いいことだと思っています。
これはもちろん素晴らしいことがですが、誰もが「自分らしく」生きようとすれば、当然、あちこちで利害関係が対立し、社会が複雑になっていきます。
東京五輪の女子ウェイトリフティングにトランスジェンダーの選手が出場し、女子選手から抗議の声があがったのはその象徴でしょう。

リベラル化と並んで生きづらさが増している理由は、驚異的に進歩するテクノロジーを背景に、知識社会がますます高度化していることです。そうなれば当然、仕事に要求される能力や学歴のハードルも上がっていく。
このようにして、日本よりはるかにリベラルな知識社会であるアメリカでは、高卒の白人労働者階級が労働市場から脱落し、アルコール、ドラッグ、自殺で平均寿命が短くなる「絶望死」という現象が起きています。
コロナ禍でリモートワークが当たり前になったことで、フリーエージェント化も進んでいます。今は会社に所属していても、自由度の高い働き方が好まれますよね。朝8時に全員オフィスに集合して朝礼がある会社より、自分や家族の都合に合わせてフレキシブルに働ける会社の方が魅力的でしょう。
そうなると、専門職の資格をもっていたり、経験を通じてスキルを身につけた人たちが、会社に束縛されることなく自由に働きたいと思うようになるのは当然です。
――はい。PIVOTでも、独立起業を後押しするコンテンツを頻繁につくっています。
そうなりますよね。オンラインで仕事ができる知的労働なら東京にいる必要もなくなり、景色のいい田舎で庭付きの大きな家に住んでもいいし、コロナが落ち着いていたらAirbnbなどを利用して世界中を旅しながら仕事もできる。

実際、シリコンバレーなどはこうした働き方に急速に変わっています。
最初の話に戻るなら、これがリベラル化する知識社会の光の面で、一部の恵まれた人たちはますます「自分らしく」生きられるようになった。しかし、光が強ければ強いほど影もまた濃くなります。
きらきらした日常を送っている(ように見える)セレブリティの背後には、まるで「存在していない」かのように扱われている、社会からも性愛からも排除されてしまった人たちがいる。この〈真摯な絶望〉のなかから、間歇的に、社会を驚かすような事件が起こるのではないかと思います。
(第2話に続く)