
2022年8月13日
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コムハム。この名前を聞いた時、僕は娘が幼い時に好きだったアニメ『とっとこハム太郎』を思い出し、ハムスターのような見た目をした、かわいらしい菌のイメージが湧いた。
実際のところ、コムハムはひとつの菌の名前ではなく、一定の条件下で群生する微生物の集まり、つまり微生物群を指す。顕微鏡でしか姿を確認できないこの極小サイズの微生物たちは、人間を驚かせる能力を持っている。
端的に表すと、大食い、早食いが得意なのだ。しかも、人間界で生ゴミとして扱われている残飯や家畜のフンなど「有機性廃棄物」が好物で、とんでもない勢いでそれらを食べ尽くし、水蒸気にかえてしまう。10トンの有機性廃棄物を1日から3日で完食するというから、すさまじいスピードだ。
これまで、有機性廃棄物は焼却して、その灰を埋め立て地に使うか、たい肥化されてきた。しかし、それぞれの方法に課題がある。無尽蔵に埋め立てできるわけではなく、例えば、東京都のごみ埋め立て地はあと50年で限界を迎えるといわれている。たい肥化する場合、たい肥になるまでに通常、数週間から2カ月程度かかり、その分の管理費がかかる。そのうえ、日本の農業従事者が減り続ける一方で、市場には安価で高性能の肥料があふれているため、大量のたい肥が余って行き場を失っているというのが現状だ。
そこで、有機性廃棄物処理の3番目の選択肢としてコムハムに大きなポテンシャルを感じ、2020年1月に「komham(コムハム)」を創業したのが、西山すの。なぜ彼女は、コムハムに人生を懸けようと思ったのだろうか?

北海道・苫小牧出身の西山は、幼少期の頃から「世界」に関心を持っていた。小学生になる前から両親に「留学したい」と訴え、江別市にある立命館慶祥高校時代には熱心に英語を学び、大学は「学生のうち、留学生が半分」という立命館アジア太平洋大学に入学した。
留学の夢をかなえたのは、大学3年生の時。もともとメディアに触れるのが好きで、「作る側になりたい」と思っていた西山は、ニューヨーク州立大学で1年半、メディアや広告について学んだ。
「勉強はめちゃくちゃ大変だったけど、遊びまくりました(笑)」というニューヨーク生活から離れがたく、大学4年生の6月に帰国した時には、「卒業したらまた戻ろう」と思っていたという。
しかし、両親から「留学までしたのに、就職もせずにアメリカに戻るとはどういうことだ、1年でいいから就職してほしい」と言われて、断念。興味があったメディア関係はとっくに採用が締め切られていたので、「有名な会社なら親も納得するだろう」と大手に絞って就職活動を始め、大手アパレルメーカーに就職した。
新入社員の仕事は、店舗での販売。「言われた仕事をまっとうにやろう」と意識して店頭に立っていたら、思いのほか、よく売れた。配属された店舗だけでなく、複数の店舗を含むエリアでもトップの売り上げを記録した。しかし、それを素直に喜ぶというよりは、新人があっさりトップに立てるぬるま湯のような環境に疑問が募った。想像以上にオールドファッションだった社風も大きなストレスで、「ここにいると成長できない」と1年で退職して、北海道に戻った。
2カ月間、実家でのんびり過ごしていたら心身がすっかり元気になり、「もう一度働いてみよう」と転職活動をスタート。学生時代に目指したメディアの仕事に少しでも近づこうと、PR会社に転職した。
3年間働いたその会社では、契約している企業のサービスや商品を、いかにメディアに露出させるのかを考え、実現に動くのが主な仕事だった。とにかく忙しかったそうで、「当時の記憶と言えば、眠かったこと」と笑うが、メディアに電話をかけて「この商品を取り上げてもらえませんか?」と交渉する地味な仕事から、大手航空会社のプロジェクトでアメリカのPR会社と折衝する仕事まで、PRの仕事を幅広く体験した。
ただ、この時はあくまで会社の「コマ」に過ぎないという実感があり、「私がこれをやったと言えるような、自分の財産になるような仕事がしたい」と考えるようになった。
そうして次のステップを考えている時、PR会社で1年目から担当していたゲーム制作会社から「うちに来ない?」と声をかけられた。事業会社の広報なら、成長に貢献することができる。そこに魅力を感じ、新たな一歩を踏み出した直後、たまたま目にした求人にくぎ付けになった。
広告業界の著名クリエイター5人が組んで2011年に設立した企画制作会社「PARTY(パーティー)」が、PR職を募集していたのだ。学生時代にこの会社の存在を知り、憧れていた西山は、ダメでもともとと採用試験を受けた。その際、自分のアピールもそこそこに、「PRしなくてもバズる作品を作れるのだから、PRのポジションは必要ないのでは?」と質問攻めにしたそうだ。
この一風変わったアプローチが目に留まったのだろう。本人も想定外の採用通知を受けた西山は、ゲーム制作会社の上司に正直に打ち明け、わずか3カ月でその会社を退職。2016年、PARTYのPR職として働き始めた。
「PARTYは広告クリエイティブ関連のプロジェクトが多かったのですが、私が入社する少し前から自社サービスを作り始めていました。その自社サービスを広く認知してもらうのが仕事でした」
※第20話に続く。