
2022/07/19
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ただまぁ、中2から高3までずっと成績が学年1位で、軽く調子に乗ってたので、その後しっかり挫折しました。
受験で失敗しましたね。当時は東大模試もA判定。当然、東大に余裕で受かると思っていたんですが、サクッと落ちました。人生って面白いですね(笑)。
センター試験は、ほぼ満点でしたが、一発やらかしました。なんか国語だけやる科目間違えたんです。IAとIBの選択を間違えてたんですよ。東大はIBを解かなければいけないのに、僕はIAを解いていた。

受験対策として、予備校とかもあまり行ってなかったんで、よく分からなかったんですよね。だって、模試はIAとかなかったと思うんですよ、たぶん。自己採点したら、一番得意だった国語が10点位だったのかな? さすがにビビりました(笑)。
この体験は、テレビを作る上でも大きな原体験になってます(後述します)。
東大に落ちて、慶應と早稲田に受かりましたが、早稲田一択でした。なぜなら広末がいたから。
広末涼子は僕の1学年上です。早稲田に行ったら広末と付き合えると思っていました。男子校で6年過ごした18歳ってそんなもんですよね。

結局、広末は大学構内で姿をチラッと見かけただけで終わりました。
大学時代は大学図書館にこもって22時の閉館まで本を読んで過ごしていました。やっぱり陰キャなんです。いや、何か病んでたんでしょう。
早稲田の図書館は地下が充実しています。メジャーな本が置いてある地上階ではなく、地下1階、2階の昔の本がたくさん置いてある書庫にこもり、一人読みふけっていました。

入ったサークルは中国語学習会というマイナーなサークルです。やっぱり図書館にこもって、胡適(近代中国の思想家)を辞書片手に訳しながら読む。我ながら暗い学生生活だったと思います。
さらに、第3外国語でアラビア語、第4外国語でアイヌ語を勉強したりしてました。これも、中学・高校時代の全曜日部活と同じ、セコさからくる、もったいない精神ですかね。
単位は卒業要件をオーバーして結構取りました。タダでやれるもの、やらないのはマジで損だと思ってました。英語や中国語のようなメジャーな言語はいつでも学べるけど、アラビア語やアイヌ語は社会人になったら学ぶ機会がない。今しかできないから学んでおこうという動機です。
振り返ってみると、広末涼子とすれ違う可能性の1ミリもない学生生活ですね。なんで当時付き合えると思っていたのか、不思議です。

アラビア語やアイヌ語を学ぶことは、社会人にとって役立つのかと言われたら、答えは「はい」だと思います。
それらの言語をしゃべれるようには一切なりませんでしたけど、語学を学ぶとそれらの文化圏に必然的に興味を持つようになります。そして英語圏や中華圏と違うものの見方が見えてきます。
そうした考えは『世界ナゼそこに?日本人』(2012年)という番組を制作していた時、とても役に立ちましたし、マイナーなものの中に「新しい面白さ」を発見する訓練になっていたと思います。

これはテレビの番組作りや企画の立て方において、とても大切です。メジャーなものには誰でも飛びつくので、すぐに廃れて、面白みも欠けます。マイナーなものの中にある「新しい面白さ」を自分だけ発見できれば、大きな武器になる。
当時はそんなふうに考えてはいませんでしたが、「私の履歴書」風に人生を後付けで解釈していけば、そんな感じがします。
ただ、まだまだ暗い学生生活は続きますね。
*明日に続く。