
2022年2月1日
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――佐渡島さんは、起業家一家に生まれて、昔から商売が好きでしょうがなかったみたいですが、それはなぜですか?
祖母が商売やっているのを見ていて、「人の役に立ったら結果お金が入ってくる」というプロセスがすごく面白いなと思っていたんです。
祖父は鉄鋼商社を経営しており、祖母は、保険の販売や駐車場の運営など、いろんなことを手がけていました。心斎橋に住んでいましたが、実家のすぐ側に大丸があって、地下の一コーナーを借りてきて、いきなりお茶漬け鰻屋を始めたりもしていました。
けっこうなんでもありな感じで、「商売を思いついた時にすぐやる」という祖母だったんです。
――おばあちゃん子だったんですか?
そうですね。従兄弟の庸平(コルク代表で編集者の佐渡島庸平)も祖母の影響を受けています。
庸平とは同じ年で、小学校の時は一緒に住んでいました。彼のお父さんが南アフリカに駐在していたのですが、彼は受験するために日本に帰ってきていました。
彼はいつも本ばかり読んでいて、小学校6年生の時に劇をやることになったときも、先生の書いた脚本がイケていないと言って、シェイクスピアを自分で買ってきて書き直したりしていました。嫌なガキですよね(笑)。

僕はどちらかというと自由奔放で、勉強もまったくしない。庸平とは全然違うタイプだったんです。
――祖母は2人の孫にどんなスタンスで接していたんですか?
祖母は、庸平には「勉強しろ、勉強しろ」とすごく言うんですが、僕には「勉強とかどうでもいい。とにかく自分なりに思いついた、世の中の役に立ちそうな面白いことをどんどんやってみたらいい」と言ってくれていました。2人はキャラが違うんで、そこを最初から見極めていたんでしょうね。
――祖母の教えを生かして、大学時代に早速起業していますね。
インターネットが大好きで、中高時代もインターネットにのめり込みました。学校で一番初めにインターネットを使った生徒でしたね。大学では、「インターネットでなにか商売できないかな」と思って、学生のためのメディアみたいなものを作ったんです。
――各大学の休校情報が掲載されているメディアですよね。
そうです。僕は不真面目で勉強もあんまりしない大学生だったので、僕が一番欲しかったのはテスト前のノートだったんです(笑)。

だから、コミュニティーをつくって、ノートを交換できるように、Daigakunote.comというサイトを作って学生を集客しました。芸能ニュースと毎日のみんなの休講情報を、ワン・ツー・ワンで配信してメディア化して、ノートを交換できるようなコミュニティーをつくろうとしたんです。
――自身でプログラミングしてサイトを作ったんですか?
自分でも一部やっていましたが、友達で得意な人がいたので、一緒に3、4人で作りましたね。
――当時、関西のほとんどの大学で使われるようになったとか。
最初は自分の大学からスタートして、関西の私学系の9大学に入りましたね。
――マネタイズもしたんですか?
いろいろと試しました。
例えば、当時はauが学生半額キャンペーンを大々的にやっていたので、docomoユーザーの学生にauの広告を打ったりしていました。
他にも、アルバイトの募集広告を出したり、マーケティングリサーチとして学生ユーザーにアンケートをして回収したり。「今から1時間以内にアンケートに答えてくれたら、明日学食で1万円プレゼント」というキャンペーンをやったりしましたね。
――結構もうかったんですか?
自分たちで食っていくくらいには稼げました。
――佐渡島さんは典型的なストリートスマートタイプなんですね。
学校のテストは本当に苦手でしたね。小学校の時には、算数のテストが100点満点で4点ということもありました。先生がわざわざ朝に別枠で一生懸命教えてくれて、16点に上がってすごく喜んだり(笑)。
――そんな佐渡島さんもプログラミングは大好きだった?
プログラミングというほどではないですが、HTMLを書いたりしていました。大学時代はFlashがすごく流行っていたので、FlashでインタラクティブなWebを作ったりしていました。
それと、友達がよくイベントをやっていたので、イベントのフライヤーをPhotoshopやIllustratorで作ったり、プロモーションビデオを作ったりしていました。パソコンを使って、そうした作業をみんなのためにやるのが面白かったのかもしれません。
――今、経営者としては、商売を作るビジネスパーソン的な部分と、ギーク的な新しいサービスをつくる部分と、クリエイターとしてコンテンツを作る部分はどれが一番強いんですか?
一番好きなのは、たぶんビジネス的なことですね。
――生粋の商売人なんですね。
そうですね。商売の手段として、単にツールとしてパソコンを使っていたという感じですかね。